その日は全国的に天気が悪く、列島の西部ではいくつもの警報が発令されていた。私はまったく捗らない小説の執筆を午前で切り上げて京浜東北線に乗った。私は気圧が下がると頭が痛くなる。今日も朝から、頭の左側に重石を入れられたような感覚がずっとあった。
さいたま市に入るのは初めてだった。私は行ったことのない街を舞台に小説を書くことがあり、そういうときはグーグルのストリートビューをつかって土地勘を掴んでから執筆をはじめる。検索してみると民家と駐車場の間に豊泉堂は建っていた。私は北浦和駅に移動し、「アクセス」のページを確認しながら豊泉堂までの道を辿った。
これで私は北浦和を舞台に小説が書ける。そう確信を得るまで周辺を散策したものの、自分の身体を運ばなければ治療は受けられない。私は予約の時間より一時間ほど早く北浦和駅の西口を出た。小雨の下、「アクセス」ページの案内に従って歩く。写真のなかでは雨は降っていなかった。杖を突いた老人も白い服を着た子供も傘をさしていない。ただ一枚だけ、青い傘をさした人物が道を指さしている画像があったが、その画像に写り込んでいる駐車場の料金は、私が実際に見たときよりも安かった。
戸を開けるとカーテンの裏から院長が顔を出し、オッどうもどうも、と微笑んだ。会うのはこれが三度目だったが、彼の気さくな様子に、私はいつも違和感をおぼえる。それは小説家でもある院長が新人賞を受賞したときの、こちらを見据える近影がつよく印象に残っているからだろう。私は院長の三年後に同じ賞を受けた。つまり彼はかつて私の──このページの上部にある比喩を借りるなら──職場の同僚であり、同じ部署の先輩だった。松波太郎という名前は私にとって、会ったこともなく人となりも知らないが、遠くて近しい先達としてあったのだった。
院内には静かな波の音がし、ときおり穏やかな弦の音がそれに重なった。かんたんな挨拶のあと、私は用意されていた服に着替えた。彼と話したいことはいくつもあった。私たちは同じ賞を受けて小説家としてデビューしたが、彼は商業誌の世界から離れてしまった。そのことに、私はどこか取り残された思いを抱いていた。尊敬し、ときには一方的にライバル視すらしていた先輩がフィールドを移してしまった寂しさ。しかしそんな、治療とは何の関係もないことを口に出すのは躊躇われ、私はまったく違うことを言った。ハリどころか按摩とか整体とか、そういう誰かに身体のメンテナンスをしてもらった経験もぜんぜんなくて……。だいじょうぶですよ、加減しつつやりましょう。院長の指示に従い、私はベッドに仰向けになった。上げますね、と彼は言い、それと同時にベッドがかすかに震え、私の身体は上昇していった。アッこれは、なんですか。ベッドがね、上がるんですよ。院長はそう言った。身を乗り出すとベッドの下に足で踏んで押すスイッチがあり、そこに乗っていた爪先が脇に動くとベッドの上昇が止まってUPとDOWNという文字が読めた。水原さん驚いてるけどこれはね、ぜんぜん新しい技術じゃないですよ。何十年も前からある。二十年前に死んだ祖父が最後に過ごした部屋のことがふと思い出された。彼の身体もこんな、昇降するベッドの上で死に近づいていったのだった。じゃあ、お腹出してください。院長は言った。七十年あまり生きて死んだ祖父は、ハリ治療を受けたことがあっただろうか。緊張で汗ばんだ腹が、よく効いた空調に冷やされた。寒くないですか、と院長が私を気遣った。
院長はひとつひとつのツボについてそこにハリを刺す意味を説明した。私の、おそらく的外れなものも多かっただろう質問にも丁寧に答えてくれた。治療しながらの問答で、院長は的確にハリを刺すべき場所とその深さを見極めていく。痛みはほぼなく、ただ、悪くしている場所に刺されると、その部位の内側がとつぜん膨らんだような、圧迫感に似た疼痛が生まれる。はじめての感覚だった。私が悲鳴を上げるたび院長は、響いてますか、と落ち着いた声で言った。この感覚は正常なもので、むしろ私の身体はこの痛みによって、健康に近づいているのだという。院長はハリを通した管を私の身体にあてがい、指先で叩く。繰り返されるその音が耳に心地よかった。ときおり悲鳴を上げながら、音と痛みに身をゆだねているうちに、一時間におよぶ治療は終わっていた。
立ち上がって手足を回してみると、可動域が広がっているのが実感できた。慢性的に痛んでいる腰にはまだ、ハリを刺されているときの圧迫感が残っていた。ハリっていうのは必ずしも即効性があるものではなく、徐々に効果が現れてくると思います。院長はそう予言するように言って手を振った。次の患者とすれ違うように私は外に出た。雨はすっかり止んでいた。
私は畳んだ傘を鞄にしまい、首や手足を回しながらゆっくりと歩いた。腰の中に残る圧迫感は、不快なものではなかった。院長のハリに促され、私の身体は私の知らない反応をしていた。いちばん身近なはずの自分の身体にフロンティアがあったのだった。胸のうちに、良質な小説を読んだときと同じ興奮が宿っていた。先輩は今も違うフィールドで戦っている。そのことが私は嬉しかった。
腰のなかに膨らんでいた圧迫感は、その後ゆっくりと時間をかけて戻っていった。そしてその違和感がしぼんでいくのと同時に、慢性的な腰痛も消えていった。あとに残ったのはハリによって促進された血が勢いよく巡る心地のよい熱だけだった。身体の不調が劇的に改善した、というわけではない。気圧は相変わらず低く、私の頭は鈍く痛む。しかし雨は止み、腰痛は去った。私の体調はほんの少し良くなった。そしてそのほんの少しが、私たちの人生を豊かにするのだ。