case.35 よくならない腰痛
ここに昨年の「症状ランキング」なる表があります。昨年ご来院いただいた患者さんの症状を文字通りランキング形式でご紹介したもので、これからご来院いただく患者さん方の参考になれば……という主旨のもとホームページにも掲載していて
「患者の症状? 病気? をランキングみたく紹介しているアレを見て、来たんですが」実際にご覧いただいてからご来院くださる患者さんもちらほらいるのですが……「あの若干不謹慎な感じもするヤツ」
「……ああ」
分かりやすいように整理させてもらったつもりですが、たしかに若干不謹慎な形式かもしれません……
「……アレ……ヤツ……」
「載ってる症状は全部治るってことすか?」
「……んー」とうなる音の方を大きくして ―― いや、ただ症状として載せているだけですから正直治りづらかったり時間・回数のかなりかかるものもあります ―― という小声の方を早口でサンドイッチします。「……んー」
「ん? 〝んー〟っていう方がデカすぎて、間の言葉がよくききとれなかったけど」
「……症状として載せているだけで……」逆問診のようになりつつあるので、端的に一例だけ挙げて切り上げましょう。「……たとえば〝第二十四位:帯状疱疹後神経痛〟は程度や治療開始時期によりますが、かなり手こずるケースが当院では多いです」
「ふーん」
あまり関心のない症例のようです。
「じゃあオレの腰痛は?」
「治ることが多いです!」〝帯状疱疹後神経痛〟よりは実際に即効性の高い症状ですので、少し語気が強くなりました……「……並の腰痛なら」
ややオーバーにも受けとめられてしまったかもしれませんが、並の腰痛でしたらそんなに時間も回数もかからず一回の治療でかなり快方に向かう症例が多いです。
「なるほど、治るんすね」
予後も安定することが多いので、患者さんが患者さんを新たに呼び込むいわゆる口コミ形式に増えて、毎年三位以内に入ってくる症状となっています。
「並の」という所は今一度語気を強めておきます。「……並のなら、ということですけど」
「ん?」
強弱や大小をつけていたこちらの発声の問題かと思っていましたが
「……並の」
「ん? え? も一回言って」
もしかしたら聴力にも何かしらの問題があるのかもしれません。
「ああ」顔色もどことなく悪いです……「はいはい、ウェーブね」
〝どことなく〟の根拠をさぐるようにつぶさに顔のパーツパーツを診ていきます……
「波のね、たしかに最近は波があって」というように現病歴を語りだしている唇の色合いもやや青みがかっていて「痛かったりr、痛くなかったりr、でも最近はずっと痛かったりr」
というように一音一音にも傾聴してみると、小さな〝r〟が語尾に混じって聴こえてくるくらい震えていることがあり
「痛みの質もなんだか変わってきたりr」
「……ええ」
「いつぐらいからr、すかね……」
この目つきをどう表象したらいいでしょう……とりあえず目力なるものは診受けられず、自分自身の網膜を見つめるのでやっとというような射程の浅い目つきです。
「いつだったっけな……オレ……じゃなくて、アレ……全然思い出せんすわ」脳の方にも何かしらの問題が波及しているのかもしれません。「も一回、最初からr」
というようにちょくちょくはしょっていた〝も一回〟や〝で〟抜きの敬語の〝すね〟という発声も、体力ゆえの問題のようにだんだんきこえてきています……
「アレ……オレ……なに言おうとしてたんすかね」
腰痛の原因は腰じたいにはなく、脳の認識レベルにあるケースが全体の8割だとする研究結果もありますが ―― 新聞等メディアで大きくとり上げられたこともありますので、みなさんもご存知かもしれませんが
「ちょっと圧してみますね」
「イチチチチ」局所にも圧痛ポイントとなるコリが触知できています……「チチチチ血ぃ出てないすか」
「……すか」
「すcar?」
とりあえず他の患者さんと同じように脈等もとって、治療を始めていきます。
「いろいろ痛い」という腰の各所のコリのみならず、顔色ひいては全身の体力をとり戻せるように、一見関係ないような手や足の遠隔のツボも用いていきます。「ああ、ソコもぉ」
「……ええ」
「なんか鈍くぅ」
「ちょっと起き上がってみてください」という時点で効果を実感される患者さんも多いのですが……「どうでしょう?」
「イチチチチ」
「……あまり変わっていないですかね?」
「つーことすね」
この患者さんの浅い目つきにはわたしがヤブ医者ならぬヤブ鍼灸師に映ったかもしれませんが……
「ハリ灸効かんじゃないすか」それでも結構です……鍼灸ですぐに治る腰痛なのか ―― はたまたそうではないかの一次診療にご活用くだされば。「ったく」
「……んー」
三回治療してみて効果が上がらない折には病院での診察・検査をすすめてみるのが通例になりつつあるのですが
「どうしたらいいすかね」
「……どうしましょう」
大体三回治療すれば何かしらの効果は上がるはずなのですが……
「……三回くらい」
「三回も?」
効果が上がらない時は鍼灸ならびにわたしの腕を自問するより先に、患者さんのお体の方のせいにしてあげた方がいいことがままあります。
「……せめてもう一回」
「も一回?」
というように初回の治療を終えてお帰りになった患者さんには、二回目の治療後に、西洋医学側のとくに検査をすすめ
「レントゲンやMRIを用いての〝診断〟の権限はわれわれ鍼灸師には法律で与えられていませんので」
「ん? 何の話?」
「……えーと」
「たらい回しにされてる、っつーこと? 信用してたのに……先生のこと……もういいすわ」
というような捨てゼリフめいた言葉も吐かれたのですが、後日お電話でお伝えいただいた病名は〝前立腺がん〟。
「……そうでしたか……やっぱり」
「やっぱり? まあ幸い浸潤や転移はしていなかったみたいだけど」
という電話の数週間後には、西洋医学側の摘出手術をうけたというお電話を再度頂戴し
「とっちゃうのが一番って言うからさぁ」
「……ええ」
「もうずっと入院で」
「……ええ」
「これはきっと並のってことなんだろうけれど」
体力の回復と、ベッドに寝たきりになっていたことからの並の腰痛の治療のために、今は10日に一回ご来院いただいています。
「ああ」
「……いかがです? 今回は」
「ほとんど感じないですわ、腰痛」
「よかったですね」
「クスリのむより、こっちの方がいいですわ」
「……まあおクスリも時には大切かと」西洋医学と東洋医学のいわゆる統合医療はこの点においても大切かと。「たった1錠のおクスリがちゃんと効いてくれる体にこれからしていきましょう」
