case.42 テニスをしていないのにテニス肘/ゴルフをしていないのに……
そういった人がかかりやすい傾向から付けられている名称の症状が、この世の中にはいくつも存在しています。整形外科方面の症状にとくに多いでしょうか? 四十代・五十代の人がかかりやすい傾向にある〝四十肩・五十肩〟、日がな一日パソコンのマウスを触り続ける人に多い〝マウス症候群〟、陸上競技のランナーの人がかかりやすい〝ランナー膝〟、ジャンプや着地の動作をくり返しおこなう競技の人に多い〝ジャンパー膝〟、野球のピッチャーの人に多い〝野球肩・野球肘〟……
「わたし、ずっと帰宅部でしたよ!」そしてこの患者さんが発症したとおぼしいテニスプレイヤーに多い〝テニス肘〟……「テニスなんかしたことないですし、見たこともほとんどないですし!」
という疑義を唱える口調の振動が伝わっているのでしょう……患部と同じ右側の顔をゆがめていて
「もちろんゴルフだって」反対の左側の肘の内側の方にも、口調の振動が伝わったくらいでは痛みをおぼえない程度の炎症・〝ゴルフ肘〟を患っているそうです。「やったことも、見たことも」
それぞれの症状はけっして珍しいものではありませんが ―― 昨日もそれぞれ一名ずつ診ましたが ―― 、肘の左右にいっぺんに発症している〈case〉は珍しいので、この〈42〉で紹介させていただいています。
「そんなお金ないし」
「ん?」
「だってテニスもゴルフもお金かかるでしょ? とくにゴルフは……」
「どうなんでしょう……」
ラケットやクラブを使うことからそういうイメージが生じているのかもしれませんが
「お金に余裕がないと」
とりあえずこの人にとっては経済的に余裕がないとできないスポーツらしいです。
「病院にいくのだって、お金がかかるから」
「……ええ」
「なるべく避けていたのに」
「……そうでしたか」
「せっかくいったのに、テニスしてるだろ? ゴルフしてるだろ? みたいな名前の〝病名〟付けられてさあ」正確には〝疾患名〟であり、担当した医師にもそう告げられたわけではなく、名称からすべて来ている想像のようです。「テニスもゴルフもしていないのに、〝テニス肘・ゴルフ肘〟なんて」
「……まあ」
「貧乏人をおちょくっているの?」
「……どうなんでしょう……」
「まったく!」
スポーツ選手以上にエネルギッシュにも感じますが、あくまでそれは上半身の話で
「……治療の方を始めていきますね」おなかや足の方は冷えきっています。「……お灸も一つ据えますね」
「なんで足?」
「……全身つながってますんで」
という説明だけでは足りないようです。
「だから」すでに仰向けになっているのに、頭を起こして前のめりになろうとしてきます……「なんで」
「上半身に熱がもっていかれているので、肘や肩に炎症が……」昨年末には〝野球肘〟も患っていたことをすでに問診表にお書きいただいていましたが、まだ詳しくはきいていません……「炎症をおこしている患部の血行を良くして、かえって悪化させるケースもありますので……」
「なるほど!」
と全然納得がいっていないような口調ではありますが、一応理解はしてくれたみたいです。
「熱くてしょうがないのよ!」
「……ですよね」
「整形外科で冷シップだけもらって貼っても、熱いまんま!」
返答がわりに足や膝の経穴にはハリを浅めに刺して置いておきます。
「野球の時だって」〝肩〟が省かれているのでしょう……「すごく時間がかかって」
患部そのものへの刺激はなるべく避けて、前後の部位にのみハリを刺して、今度はすぐに抜いていきます。
「3ヶ月くらいかな?」置いておくと血が集まってくるので、患部近くはすぐに抜いていきます。「いつのまにか治っていったと思ったら、今度はテニスにゴルフ!」
と一応〝!〟を付けて表記はしましたが、単なる〝|〟でもいいくらいか
「まったく|」
〝!〟の下の〝・〟や〝。〟でももういいくらいにまで鎮まってきこえてきた所で、今後は下半身もうまく使えたらいいですね……という助言がわたしの口からおのずと出ていました。
「……ああ、すいません、つい」
「なによ、そのテニスやゴルフや野球のコーチみたいな」
「……ってことですよね」
「アドバイス」
それでもエネルギッシュな口調に戻ることはなく、足の血流も良くなってきたことを触診して、今日の治療はおしまいです。

「まあけっこう軽くなった気はするけれど」まだ痛いわよ……という口ぶりからも熱が冷めています。「あとどれくらいかかりそう?」
「……経過によりますが」
本当に経過によります。
「……今日のところは両肘ともまだかなり熱をもっていましたので、この熱がさらにおさまっていって、動きの制限なども出てこなければ、この1回でいいと思いますし」
「それだと助かるわ」
「……動きの制限が出てきて、今度は冷えが強まってきた場合には患部にも強めの治療を施していく必要性も……」
ハリを刺したままの状態で動作をとってもらう〝運動鍼〟という荒療治も最後にとってありはしますが
「はあ」めったに用いることはありませんし、〝運動〟の名前はこの方の前では出さない方がいいのでは……と。「まあやるしかないか」
「……はい」
「頑張って治療代を稼いでいかないと」
と重そうだった腰を待合のソファから上げて、きちんと玄関マットに足跡がつくくらいに踏みこんで、片足ずつ靴を履いていきます。
「踏ん張り所ね」ご来院時よりは足腰が安定しているでしょうか?「ふう」
足腰に血行と共に意識が向かうようになっているということなのかもしれない末端のスニーカーがスポーティーにも見えてきています。
「頑張らないと」
という発言が、テニス・ゴルフ・野球を始めるモチベーションのようにも響いてきていますし
「今回の経験をきちんと糧にして」柔軟な血行の巡った筋肉をもつスポーツ選手が用いそうな語彙にきこえてきていますし「今後に生かしていかないと」
ヒーローインタビューのようでもありますし
「報われないわよ」
テニスだってゴルフだって野球だって、歩き始めはここにあったのかもしれません……スニーカーのメーカー・コン〇ースがアディ〇スにもナ〇キにもアシ〇クスにも少しずつ見えてきています。
「もうこういう目には遭いたくない」
やはりメーカーは日本製でしょうか……
「もっと良い体のコンディションに」
プライバシー保護の観点から下のお名前と漢字での表記は避けますが、この患者さんの名字はミズノさんです。