case.32 アトピー性皮膚炎
ハリの本場・中国の研修から帰って来た足でさっそく電動ベッドの高さを調節して、手で脈を診て、目で顔色を診て、耳で声音を診て、鼻でにおいを嗅ぐ〝聞診〟というのも東洋医学にはあるのですが、天候のにおいの方が強すぎます……
「この湿気がとくに……」液体そのもののように重みのあるにおいです……四つに分かれた季節以外にも梅雨が日本にはあります。「……雨が最近多くて」
「まだ四月末ですよね……」
「今年は早いんでしょうか?」
「……どうなんでしょう」
「降ってない時にも、体がべとべとしている気がして」
すでにご自身の体にこびりついているにおいのようにもみずから形容してきますし……
「……べとべと」
「べとべとした地面みたくも」
というように正確には雨が降って蒸した地面のにおいであることをみずから告げてきたのも、この患者さんの方からですし
「……地面」
「土っていうより、アスファルトですかね…」その地面がアスファルトである連想を与えてきたのも、この患者さんの口の方からです……「かきむしっちゃって、ここだったり、そこだったり、肌の色も……」
口そのものもとくに口角のあたりが切れてかゆくなることがあるそうですが、それは乾燥した冬の時季に多いのだとおっしゃりながら、諦めるようにベッドの上に横になります。
「はあ」
「……ええ」
「他人に言われるよりも」
「……はい」
「自分で先に……」他人に言われるより、自分の口の方から言ってしまいたいのだそうです……「っていうか、わざわざ自己申告までしなくてもよかったな……またついしゃべり過ぎちゃって……」
という言葉を発する際には時季は関係ないようです。
「はあ……今もまたかゆくなってくるぅ」母音の〝う〟まですぼめた口のはしを、親指と人さし指で圧しています。「〝かゆくなってくる〟って言葉にもかゆくなってくる」
掻くのではなく、指の先の爪で軽く跡をつけるだけにとどめておくように圧しています。
「〝べとべと〟って言葉も、実は……」
「……無理してまでおしゃべりいただかなくても……」
「〝じとじと〟もですけど……」
特定の言葉・単語にたいする一種のアレルギー反応はご自覚されているようですが
「ほかはとくに……」ほかの因子にはそれほどのご自覚がないようです。「なんでかゆくなるのかを考えると、よけい……」
「なるほど……」でも・だが・しかし・けれどといった逆接をすぐに使いたくなりますが、ここは堪えて治療を続けていきます。「……はい」
アトピー性皮膚炎の症状であっても、治療方針はとくだん通常と変わりません。
「……痛かったら、おっしゃってくださいね」のぼせないように足のツボにハリを打ってから、頭を打ち、首や肘や手、腰の方からお灸でお腹まで温めます。「……熱くなったら、おっしゃって……」
以前は〝アトピー性皮膚炎にはこのツボ〟というような定まった治療をしていたこともあったのですが
「ここは肩髃という名前のツボですね」というかゆみ抑制の効能があると昔から伝えられているツボも、効く人と効きづらい人がまちまちです。「……効く人には効くし」
もちろん時季によっても効く・効ききづらいはあるのでしょう。
「効きづらい人や、時季も、まあ……」
以前はカッピング(吸い玉)を用いて背中のツボから血を抜くこともあった治療法そのものも、うまくはまればそのあたりからかゆみが治まっていくのですが
「そうですかぁ……」というように声質からして体が弱っている人には、刺激が強くて、かえってだるさを引き起こします。「……効いたらいいですねぇ」
一口に〝アトピー性皮膚炎〟と言っても、結局は西洋医学の方でまとめ上げられた疾患名ですので、内実は本当にいろいろなタイプがあり
「効く人もいれば」
「……効きづらい、っていうか、効かない人もいる」
いろいろなタイプがあることをないがしろにして十把一絡げにされる行為そのものにも敏感な方が多い印象ですので
「……人それぞれ」
言葉を選びながら
「……体それぞれですので」
まだるっこしい表現にもかゆみを覚える方がいらっしゃる印象ですので
「……おそらくこのお体には効きづらいかと」時にはストレートに……「……もう少し元の体力があるお体には効きやすい傾向が」
「はあ」
「……あくまでわたしの診立てですが」
「はっきり言ってもらえて助かります……」
「……効きやすい地点にまで、まずはハリ灸でひき上げられればと」
やはり症状の改善のためには、増悪させる因子を自覚してもらうことが必要だと感じています。
「かゆくなる因子をなるべく自覚していただいた方が」
「でも、思い返そうとすると、かえってかゆく……」たとえ多少のかゆみが引き起こされようとも……「思い返した方がいいんですよね?」
「……まあ気分の乗る時でいいとは思いますが」
「はい……」
「……ちなみに、ですけど」とこちらからきり出してみることもあります。「……アイスクリームなどはいかがです?」
「アイス?」
一絡げにしているわけではないですが、一つの傾向としてアイスクリームが好きな患者さんが多い印象です。
「……冷たくて」
皮膚〝炎〟ですので、一種の炎症を起こしており、その熱を冷ましたい体感からおのずと冷たい物を欲し
「……そして甘いので」
その炎症の熱はかきこわして硬くなった表皮の下にこもっているケースが多いので、締めつけが通常の人の皮膚よりも強く、ゆるめたい作用を求めて甘さに奔る方が多い印象です。
「アイスより、ポテチの方が」あるいはなめらかにするためのオイリーなものを……「スナック菓子も食べ出すと止まらなくなって、あとで後悔……」
「なるほど」
「あとは……」
「ええ」
「ああ……満員……」
「満員……」
「電車とかは、思い出しただけで……ごめんなさい」
皮膚の下にこもっている余熱を口からも吐き出してもらうためでもありましたが
「……もう大丈夫です」過不足ないエネルギーのコントロールが難しい所もありますので「……とりあえずそれらを少しだけでも避けてもらって」
「はい」
「……まったくなくす必要まではないですから」
「そうですか」
反動でぶり返すこともあるので、ハリ灸同様、まずは悪化させないことを優先した軽度な積み重ねの治療をより心がけています。
「……ストレスをまた感じて、悪化してしまったら元も子もないですから」
もちろんものの二、三回ほどで一気に快方に向かう方もいらっしゃいますし
「ほどほどで……」
なかなか時間のかかる方もいらっしゃいますが
「……ペースは守ってご来院いただければと思います」ハリ灸に対する苦手意識 ―― 因子までは持たせないように……「……間隔はそこまで詰めなくてもいいので」
「はい」
「……ええ」
「でも」
「……ん?」
「体全体がこっていたけれど」
「……ええ」
「部分部分に」
「……ああ」
「なってきたかな、前よりも」
「……そうですか」
「はい」
「……皮膚の締め付けが強いので、全身がこっているように感じることが多いんですよね、アトピー性皮膚炎のかたは」という疾患名も出した刺激が強いだろう話を、ようやく今さっきの患者さんに告げました。「最初の頃は申し上げませんでしたが、今はたしかにだいぶ緩和されてきていますので、あとはこの湿気がたまりやすい関節まわりを中心とした部分部分の治療になっていきますかね。とくにこれまでの治療と変わりませんが、肩髃のツボも以前よりかなり効いてきているようですので」
もう本当の梅雨の時季ですが、四月末の方が今年はよく降った気がします……一年一年ちがうのです。
