case.37  GO TO OLYMPIC

 ハリを打つためには「はり師」の免許が必要で、灸を据えるためには「きゅう師」の免許が必要で、その国家資格をとるためには通常専門学校に三年間通わないといけません。

「おかげさまで無事に入学できました」

 わざわざ〝通常〟と一言断りを入れたのは〝例外〟があるからで、この患者さんは今年から鍼灸を専攻とする四年生の大学に入り

「先生」という呼称に教員めいた意味合いも含めてきているようにききとれますが……「これが配布されたばかりの教科書です」

「……どれどれ」とわたしの方もそんなに悪い気はしないので、つい乗っかってしまった口調になりますが……「……〝現代鍼灸〟寄り……ですね」

 わたしが通っていたのはもう10年以上前です。教科書はもちろん異なっています。

「……わたしが学生の頃とはずいぶん教科書も変わりましたね」

 同業者からのウワサで耳にしてはいましたが、実際の教科書も目のあたりにすると、どうやら鍼灸業界全体が西に歩み寄っているみたいです。

「それと、こっちがカリキュラムです」

「……カリキュラム? ああ、履修課程」

「ええ、生理学に、解剖学に、公衆衛生学に、あと、ほら、パルス専用のクラスも」

「……パルス」

 西側の医学と連携をとり合うのはもちろん悪いことではなく、患者さんのお体を包括的にとらえる上では良いことしかないはずで、昨今かまびすしいくらいにみなさんもお聞きかもしれない〝統合医療〟という大義のもと、気・血・水といった数値化・可視化しづらい東洋医学をより幅広く理解してもらうにもまたとないチャンス ―― と言っていいでしょう重大な転機にさしかかっています。

「ああ、先生の所はパルスはしないですもんね、刺したハリの上に、ほら、あるじゃないですか? ワニ口のクリップをかませて、低周波の電気を流して」

「……いや、パルスの意味はさすがにわかりますけど」

「神経や筋肉に沿って振動を与えて、血行を良くして、治りを早くする」

「……ええ」

「サーモグラフィーで確認すると、たしかに赤くなってくるんですよね」

「……サーモ……」

「エビデンスですよ、エビデンス」

 〝エビデンス〟という ―― 〝科学的根拠〟というようにでも訳せましょうか ―― 西洋医学由来の単語を、この東洋医学界隈でも最近よく耳にします。

「エビデンスがないと、なかなか病院の方では受け入れられないですから」ここ数年でしょうか?「ウチの付属の病院でもそうですし」

「……病院」

「ウチは看護学科や理学療法学科や臨床検査学科や救急救命学科もあって」日本では数の少ない四年制大学における〝鍼灸学科〟だそうで、設置されてまだ十年に満たないのだそうです。「ほかの学科ともわかる言語で話さないと、ミーティングできないから」

「……ミーティング」

「医療チームで動いたりもするみたいなんですよ、臨床実習のセッションでは」

「……チーム……セッション」

 と英単語を口でくり返すだけになってしまっているわたしではありますが、投薬や手術だけでは快方に向かわない不定愁訴等の患者さんが多く、西洋医学のホーム・病院の方でも〝東〟に歩み寄りつつある現状を把握はしています。

「まずは患者のバイタルサインをチェックして」入学してまだ半年もたっていないはずなのに、カタカナの医学用語を連発しているこの患者さんの口ぶりに驚いているだけのことです。「パルスオキシメーターも使って血中酸素飽和度の方も」

 通っている大学の鍼灸学科が特異なわけではありません……専門学校も含めて、〝気・血・水〟といった用語を使いづらい東洋医学にもなってきています。

「……脈診や腹診や舌診によって、気・血・水を診ることはしないんですね」

 ここではいちいち検証しませんが、昨今よく耳にする筋肉を包む膜 ―― 〝筋膜〟や〝ファシア〟こそが〝経絡〟の正体である旨の本も界隈ではよく売れているようです。

「最初にはしないんじゃないでしょうか」

「……最初にはしない」

「脈診や腹診や舌診といった東洋医学の診断が必要な患者かどうかをチェックする所から」

「……必要な患者かどうかをチェック……そうですか」

「脈診とかしなくたって、そのままパルスの鍼をすることの方が」

 わたし個人としては患者さんの体が良くなるのなら何でも良い立場ですので ―― 脈の強弱が電気振動と合わない ➝ むしろ持っていかれてしまい、乗り物酔いの一種のように気分を悪くさせてしまう光景をたびたび見てきているので、パルスは当院では用いませんが

「整形外科でチームを組まされることが多いので、部活やスポーツ選手のケガを治療するケースが多くて」おっしゃる通り、スポーツ選手等の基本的には健康体で傷めている筋肉が局所ではっきりしている場合には、パルスはよく効くでしょうし「受傷箇所の治りが本当に早いですよ」

 そういったスポーツ医学における就職先が増えていて、収入も他より安定していることは承知していますが……

「いいですよね~」と皮肉ではなく本心から思うこともありますが……「スポ~ツ選手には~」

「なんか皮肉っぽい言い方、先生」

「……いえいえ、本心から……」

 数値化・可視化しづらい〝気・血・水〟 ―― と便宜的にこう呼ばざるをえない存在が、体内には実在しているのだからしょうがない。

「……でも、バイタルサインではチェックできない体の不調も、また実在しているのです」

 安易に数値化・可視化しようとすると、治療そのものが立ちゆかなくなることがあります……これはわたしも学生時代に懇意にさせていただいた〝先生〟からの教えによるものです。

「……本当に〝先生〟みたいな言い方になってしまいましたが……」

 というように重なり合う三つの輪でも表されることの多い気・血・水の関係 ―― わたしの方でもいろいろ喩えを考えてみたのですが、あまりしっくり来るものが浮かばないままになっているのは、きっとこの再春館製薬所さんの喩えを先に見て、このcaseを書き続ける「ガソリン=血」にしてしまっているからで( https://www.saishunkan.co.jp/tsusanto/kampo/kiketsusui.html )、「運転手=気」・「ラジエーターの水=水」の喩えをさらに用いた「自動車」で気・血・水3つの関係を説明していらっしゃいます。ガソリンが無ければ自動車は動かず、水がなければ熱を持って故障してしまいます。また、運転手が暴走をすれば事故に合ってしまう。つまり、「気・血・水」のうち、どれか一つでも不足したり、滞ったりすると、不調や病気の原因となってしまうのです ―― という三文は、そのままサイトからの引用です。

 「自動車」の喩えをそのままわたしなりに引き継いだ〝四輪〟のイメージを脳内に描くことが最近は増えており ―― きっと気・血・水の三輪だけでは遅いととらえられているのでしょう〝エビデンス〟の車輪も搭載して、西に西に自動車を走らせていっているのでしょう。

 木・火・土・金・水という自然界の構成要素を肝・心・脾・肺・腎という人体の五臓をそのままあてはめている五行 ―― 五つの車輪のイメージには、東洋医学側でもやもすると西暦が始まる以前の紀元前から馴染みがありますので、おたがいが妥協点や譲歩案をさぐり合って縮こまってしまう窮屈な統合医療より、さらに先が望めてくるのかもしれません。

「病院の中にもっとアキパンクチャー()が入ったらいいですね」などという西のさらに先です。「モグサボスシュン()も健康保険になったら」

 西のさらにさらにさらに……その先の最果てに東が望めてこようとも、止まることのない五輪……

「TOKYO 2020」というイベントも遅ればせながらすでに去年終えています……「……2020202020……」

 東西を五周ほど巡った所で、きっとこの自動車競技もOLYMPICに採用されるようになるのではないでしょうか?