case.34  M・A・S・K

「わたしの方はずっと付けたままにしておくので、もし息苦しいようなら、外してもらってもいいですよ」

 うつ伏せの体位の際に声掛けをすることがとくに多くなっているのですが、名詞の方はたいてい割愛しています。

「何を?」とわざわざきき返してくる患者さんもいなくはないのですが、その場合でもすぐに勘づいてくださる方がほとんどです。「ああ、はいはい、コレね」

「コレです」

「コ・レ」という発音じたいがいくぶんカタコト気味で、自国語の〝これ〟からも離れたがっているようにもきこえています。「KOLE」

 と〝L〟の所は〝ら・ラ〟に近い〝R〟より舌をやや巻いて発音していて、直後には代名詞からも離れてあえて名詞そのものを発しますが

「エム・エー」という表現です。「エス・ケー」

「……エム・エー・エス……」

「M・A・S・K」

 とさらに滑らかにきこえてきたのは、実際にそのM・A・S・Kを鼻と口から外したからでしょう。

「M・」うつ伏せになってもらっているので、耳にかかっているゴムひもの先が視認できていませんが、おそらくそうではないでしょうか?「A・」

 という〝・〟の吸息の折には横隔膜周辺の背中がふくらんでいます。

「S・」

「……吸って」

「K」という発音と共に、そして長めに息を吐ききる。「ケエ~」

 背中をなだらかにさせるためにも、気分をなだらかにさせるためにも、吐ききる呼息がとくに大切です。

「……ゆっくり吐くので大丈夫ですよ」

「ゲエ~」

 という音が立つこともあるせいか、呼息の方を避けたがる・恥ずかしがる・短くなる気質が日本人には元来あるらしく

「ちょっと一度深呼吸をしてみましょうか?」という旨の呼びかけをすると、呼息の方から始める外国のかたが多いそうですが「えーと……Let′s take a deep breath……」

「なんで英語?」

「いや、まあ、マス……いえ、エム・エー……」

「いいわよ、呼吸すればいいんでしょ……スー」と日本のかたは吸息から始めることが多い……「ハー」

 すでに体の中には空気が充満しているというのに……

「……スーハー」

「スーハー」

 まずは体内の気体をゆっくりと長く吐ききることが大切で

「……ハースーの方がよろしいかと」

「ハースー?」

 空いたスペースにおのずと新しい空気が入ってくるのが、自然な形での吸息です。

「ハー」この呼吸法を腹式ひいてはさらにその下の丹田式呼吸と呼ぶようですが「スー」

 吐く方に意識を置くだけで、その間のゴム状とも喩えていいでしょう横隔膜の緊張も自然とやわらいできます……

「マスクゥ」と吸息に比重を置いた発音と言葉こそが、この方にとっての快方なのでしょう。「ウゥー」

「いいと思います」

「C・O・R・O・N・A」

 たしかにCORONA以降は肺の症状でご来院になる患者さんが増えていて

「なるほど……」脈診においても肺が弱っている診立てのお体も増えていて……「……最後に脈を診させてもらいますね」

 いわゆる陽性・陰性にかかわらず、みなさん呼吸が存分にできていないのでしょう ―― という結論は、治療後にすみやかにまた目と鼻にMASKを覆った光景を目の当たりにしてから出たものです。

「肩凝りも軽くなったわ」

 という声じたいがまた籠り出していて、かえって重くきこえてきています……

「背中の張りも」呼吸がきちんと出来ていないことで、肺周辺の筋肉も強張っていたのでしょう。「のぼせも」

 目・鼻周辺の通気性が悪く、熱がこもってもいたのでしょう。

「良くなった気がする!」

「……まあご自宅でもなるべく吐く方に重きを置いて……」

「ハーイー」

 このままでは感染症以上に重たい症状の患者さんも出てくるのではないでしょうか?

「でも、ほんとに」

「ん?」

「こっちの方がこわくなっているわよ」

「こわくなっている?」

「そう」

「何の話です?」

「コロナより」

「……ああ」

「新しいウイルスみたいじゃない?」

「……新しいウイルスみたい」

「M・A・S・Kの方が」

「……まあ」

「ハァ」

「……とりあえず〝・〟が大切ですね」

「スゥ・ハァ・吸ぅ・吐ぁ」