case.44  たまたま血が出ちゃっただけです…

 陰と陽・表と裏・寒と熱・そして虚と実 ―― すでに以前ご紹介している五行(木・火・土・金・水=肝・心・脾・肺・腎)という五項と共によく用いられるのが、この4セットの二項で、東洋医学は五項と二項で成り立っているといっても過言ではない印象です。

「五臓で弱っているのは〝肝〟で……」

 五項と二項ばかりで飽きてくることもたしかになくはないのですが……

「陰陽は〝陽〟で、表裏は〝表〟で、寒熱は〝熱〟で、虚実は……」

 実際に五項と二項でヒトの体の内側と外側も成立している印象を臨床上はもってしまうのだから、しょうがない……

「〝実〟ですね」

「ジツ!? あたしの体をなんか分類しているみたいだけど!」

 という声質からして、この患者さんのお体は〝実〟に傾いていて

「そういう分類はいいから! このノドのイガイガをとってよ!」という症状そのものも〝実〟で、〝陽〟で、〝表〟で、〝熱〟といっていいでしょう。「熱い感じがするのよ!」

 という発言も実際にあります。

「……ですよね」

 〝裏〟にはまだ入り込んでいない〝表〟の症状であることは、突き上げてくるような脈の強さからも診てとれますし

「脈ばっかとってないでさ!」少し圧しこんでみると、すぐに脈の存在は弱まります……「まったく……」

 やや〝虚〟しているようにも感じ直しますが、やはり傾いているのは〝実〟でしょう。

「はあ……」

 〝虚〟というのは ―― もう一文字漢字を補うだけで一気にイメージしやすくなると思うのですが ―― 空〝虚〟のように中が空っぽな状態を表し

「まだ?」

 〝実〟というのは ―― そのまま訓読みに切り替えてもらえれば一気にイメージが湧くと思うのですが ―― 〝()〟そのもので、中身がぎっしり詰まっているような状態を表しています。

「イガイガする」

 この患者さんにかんしては、脈状からして完全に〝実〟が詰まっているわけではなく、奥の方には空〝虚〟があり、根や生まれつきは弱かったのかもしれません。

「イガイガ」いわば張り子の虎のような状態に今はあるだけかもしれません……「中の方はスカスカな感じがするのに」

「……スカスカ」

「表面はイガイガイライラ」

「……イガイガイライラ」

 わざわざ〝張り子の〟など付け加えなくとも、虎はそもそもそういう生き物なのかもしれない。

「……トラトラトラトラ……」

 〝虎〟と〝虚〟が実はクリソツである気づきを今になって得ながら、すでに手の方は治療を進めていっています。

「はい?」

「……え?」

「トラ?」

「……イガイガイガイガ……」

 このような状態にあるお体にたいして、ついついすぐに施したくなる治療法があるのですが……

「……とりあえずその濁点はとりたいですよね」よっぽどの時でないと、当院では施しません。「……イカイカくらいに」

 法律的にかなりあやうい治療法であり ―― と、このあまり目立たなそうな中盤に字のサイズも落としてさりげなく書いておきますが、かえって目立ってしまうでしょうか……

「はあ?」

 西洋医学においてはかつては〝瀉血〟と呼ばれていた治療法で、こちら東洋医学では〝刺絡〟と今も呼ばれている治療法です。

「……〝 〃 〟みたいに熱が出てくれれば」〝シラク〟と読みます。「……血も」

 国家資格〝医師〟にはたしか今もその権限が与えられているはずですが、同じく国家資格の〝はり師・きゅう師〟には与えられていなかったはずです ―― わざわざ確認し直さなくとも何となく分かるような治療法で、わざと血を出す内容になります。

「血? ああ、そういえば、私って」

 気・血・水の通り道である経〝絡〟にハリ等を〝刺〟し入れて出血させるきこえの良くない治療法ですが

「献血で肩コリがラクになるのよ!」というタイプの人には抜群の効果を示すことのある治療法です。「ボランティア精神っていうより、自己愛、ははは!」

 と依然と熱っぽく笑い続けていますが

「ははは」

 やはりどことなく奥底の〝虚〟が気になりますし

「ははは……」

 蒸気さながら浮き上がっているだけかもしれない〝実〟以上の実体として〝虚〟が潜伏しているようにも診受けられてきていますので

「……ちょっとチクッとするかもしれませんよ」

 経絡の末端の皮膚の薄い指の尖端にハリをかるく刺して

「あッ!」ひとりでに出てきたのなら、それはそれで……というあんばいにしておきます。「あっ」

「……ええ」

「ああ」

「……ああ、出てきましたね」

「ええ」

「……ええ」

「ほんとだ、血だ」

「……どうです、のどの方は……」

「ん?」

「……すぐには変わらないかもですが」

「まあちょっとイガイガが軽くなってきたかも」という声じたいの方が先に落ちついてきている印象で「イカイカ……」

 そのまま〝虚〟にまで傾き切ることなく、ちょうど〝実〟と調和したあたりで落ちついている印象です。

「イーカ」

「……イーカ」

「いーか……ダジャレみたい」

「……はい」

 〝虚〟にずっと傾いている体質の人に無理やり施すと、めまいや立ちくらみ等の貧血にまつわる症状が出てきかねない治療法ですので

「……今日はこれくらいにしておきましょうか」

「自分でもこんど血を出してみようかな」

 きちんと二項と、それから五項のバランスもかんがみて、施した方がいいでしょう……ご自分でやるにはあまりおすすめできない治療法です。

「……んー、どうですかね、わざと出すのは……」

「でも、わざと出したんでしょ、先生」

「……いや……まあ……そのぉ……」

「でしょ?」

「……たまたま血が出ちゃっただけです……」