case.4  刺さないハリ

「いッツ」 「んおー」 「アウチ」 「おうッ」 「どひゃ」 「イエィス」

 ハリを受けて思わず漏れでてしまう声には、100人いれば100通りあると言っても過言ではありません。これは声の個人差以前の感度の個人差でもあります。釘のように太いハリを刺されても全く動じぬ人がいれば、毛のようなハリで奈落に落とされたかのごとき悲鳴をあげる人もいます。

 どの時点で人は反応を示すか――

「ぁぁぁぁぁぁぁぁあ?」 「あ?」 「全然痛くねえじゃんハリって」

 ――という感度には、個人差以前に、1個人の中にも100通りもの差が存在すると言っていいでしょう。

「しゅばっぐんづぁーもんどぃやぁーッ」

〝 はじめてのハリ 〟 も感度を左右します。

「しゅばっぐんづぁーもんどぃやぁーッ」

 わたしがこの患者さんを診てまず驚いたのは、このオリジナリティあふれる悲鳴でしたが

「しゅばっぐんづぁー」

 すぐに感度の方の問題へと移っていきます。

「もんどぃやぁーッ…先生」

 まだハリを刺していないのです。

「先生、先生!」

 正確には、 〝 鍼管しんかん 〟 というハリを通すための管を、背中にあてただけなのです。

「きついです!」

 日本のハリというのは、無痛をモットーにしていて、鍼管もその工夫の一つです。ハリをいきなり刺すのではなく、管を皮膚にあててトントン挨拶をしてから、ハリを中から通すのが常なのですが

「ムリです!」

〝 挨拶 〟 の段階で新聞の勧誘のように断られたのです。

「自分にはムリです!」

 このステンレス製のひんやりとした 〝 鍼管 〟 をハリと思いこんだようです。

「もっと加減して下さい!」

 症状は背中のつっぱりということもあり、うつ伏せになってもらっているので、無理もないことかもしれません。

「ハリははじめてですんで!」

〝 はじめてのハリ 〟 でもあるのです。

「でも……もう背中が軽くなってきた気がします!」

 すでに効果を実感しているようなので、ハリをあててもいないことは

「気がします、っていうか、軽くなりました!」あえて言わないことにします……「あと何本くらいですか、先生?」

 患者さんの錯覚ではなく、背中の深層のコリがゆるみはじめているのは事実です。

「……あと5本も、ですか」

 幼児などにはハリではなく鉄やステンレス製のスプーンを背中等にこすりつけるだけで効果があるように、感度の低い大人にも十分であることはままあります。

〝 刺すばかりがハリだと思うでない、物くさ太郎よ 〟

 と初代の松波太郎もやや自虐の意も込めて後代に言い残していることでもあるのですが

「……なかなかの荒療治ですね、先生」

 この患者さんの場合は、本当に管を置いているだけです。

「……治るために、頑張って耐えます」

 こすりつけてもいません。

「しゅばっぐんづぁーもんどぃやぁーッ」

 肌の上にかざしただけで悲鳴をあげることもあります。

「しゅばっぐんづぁー」

 置いたりかざしたりしている内に徐々に慣れが生じてきたのか

「ぐんづぁー」

 声からも徐々にオリジナリティが失われていきます。

「づぁー」

 若干の寂しさを感じるわたしの心情を体現するように

「あ゛-」

 凸凹の均された背中が寂然とした砂漠を思わせるようになります。

「あー」

 治療を受けている気分だけで、筋を緊張させていた自律神経が整いつつあるのでしょう。

「あ……今のはあんまり痛くなかったです」

 次回はちゃんとハリを刺すことになるかもしれません。

「やっぱハリって効くんすね!」

 頼んでもいないのに自分で首・肩をぐるぐる回しはじめて

「すね! すね!」

 語尾を何度も反復しながら、背中のつっぱりの軽減を確信したようです。

「いやぁ、とくに一本目のはハンマーで殴られたかと思いましたよ!」

 と感嘆しながら、上着をさっそうと羽織り

「それでいくらでしたっけ?」

 わたしの目を正視します。

「……何がです?」

「何が、って、治療代にきまってんじゃないすか」

 実際のところハリは刺していないのです。

「……500円で」

 鍼管を置いた時ほどの大声をあげて驚かれます。

「やっす! きいた話と違いますけど!」

 どうやらもともと知人から教えられて来たようです。

「何で? キャンペーンとかすか?」

 ハリは痛いという先入観も植えつけられていたのでしょう。

「……はい」

 キャンペーンの内容を考えながらそらした視界の中に、鴨居に掛けてある先代二人の遺影が入ります。

「……当院はちょうど開院 62 周年と 4 ヶ月でして」

 へえ、なんか中途半端な時期を記念するんすね、と独りごちながら

「でもやっぱ伝統ってすげえんだ、全然寒くねえもん」

 最後は感度もなだらかになってきていることを実感しながら、外に出ていきました。