case.31  細いハリ ―― 太いハリ

 このタイトルからどのような話を皆さんはイメージされたでしょうか?

「……再说一遍好不好……」

「在这里呢,不用细的,用粗的针」

 〝細いハリ〟と〝太いハリ〟というそのままの話がここから展開されていくことが、わたしにも予告されているわけですが

「细的针」

 というのが〝細いハリ〟という意味でして

「粗的针」

 というのが〝太いハリ〟という意味の言葉となっております。

「……(シー)()……(ツー)()……」

 ここまではイメージできていなかったかもしれませんが、ここは日本ではありません。

「跟日本不一样」

 ここは日本のわたしの治療院ではありませんが、ハリを主におこなう治療院ということでは共通しています。

「听说在日本的治疗院呢,几乎都用的细的针」という漢字のみで表記される言語ではあるのですが、➝・➚・➘・↓という矢印で表せるような四つの声調・イントネーションが付いて回ってくる発音です。「()吧?」

「……()

()()()()()()()

「……()吗」

()()()()()()()()()()()()()()思,()()()了吗?」

 二十代前半の二年ばかりこの国に居住していたことがあるので

「……()()了」というように返せはするのですが、もうずいぶん前のことではあります。「……(ンー)……ンー……」

 日本にいるとなかなかこの国の言語を使う機会もなく、ずいぶん久しぶりの来訪なので、すぐには返事が出て来なかったりしています。

「……嗯……ンー……」

「慢性的症状的话,比如面神经麻痹方面的话,输电也有很多效果」

 なかんずくハリ専門の語彙にはなかなかピンと来なかったりします。

「……输电……シューディエン……」

「怎么了?」

「……あぁ、〝电〟は〝電〟だから、低周波をかけるパルス鍼のことかな……我理解……」

 というようにとまどっている内に、一本刺し込んできます……

「……(オー)……」日本語にはない四声目の↓さながら鋭く皮膚を突き破ってくるような刺激です。「……おー……」

「痛不痛?」

「……痛……(アー)……ミリメートル……毫米公分是多少呢?」

「这个呢?」

「……对」

「一毫米公分左右吧」

 日本の自分の治療院で扱っているハリよりも5~10倍近く太いでしょうか?

「……小数点が付かずに〝一〟……ざっくり一毫米公分も……」

「什么? 说日语呢?」

「……啊……不好意思……那么,需要吗? 用这么粗的针……」

 こんなに太いハリを刺さなくたっていいんじゃないだろうか? という日本語を置き換えようとしている内に

「……(オー)……」二本目、三本目、四本目……と続いてきます。「……哎呀(アイヤー)……」

 日本ではまず患者としてのわたしが受けることはないだろうハリの太さですが……

「……アイヤー……」一本目ほどのインパクトはなくなっています。「……〝アイヤー〟って中国語に置き換えて痛がる余裕が出てきているのかな……」

「这是一点五毫米公分的」

 日本のハリの5~実は20倍近い太さもあるハリという比較から一度離れてみると、この太さがスタンダードにも本数を重ねるごとに感じられてきています。

「……トン」という〝痛〟という漢字をあてる言葉を〝痛〟くないように発している自分の口がすでにあります。「……とん」

「应该不痛吧」

「……有一点点」

()()

 そのままものの20分ほどで治療は終わり、礼を一言のべて

「……谢谢」わたしは治療院の外に出ていきます……正確にはまだここは〝院内〟ではあります。「……一旦出去」

 一般の病院の中に設けられている〝針灸〟の診療科の一室であり、外には一般の患者さんが列をなしています。

「……すごいな」日本ではなかなかお目にかかることのできない光景です……まだ4月後半だというのに、すでに薄手の長袖や半袖、ランニングシャツ一枚のおじさん・おばさんの姿もあります。「……まあたしかにもう暑くなってきているし」

 例にもれずわたしの方もジャケットを手に持ったまま、通路奥の〝等候室〟(控え室)の中に入っていきます……

「……あいかわらず夏になるのが早いな」

 実際に治療を受けさせてくれるというプログラムの中で、本場とされる中国のハリを今わたしは受けてきたわけでして

「……〝またお邪魔します〟は〝打扰〟で合っているよな? 〝一下〟も付けた方がいいかな……」

 今度は白衣に着替え直して、また〝针灸室〟の中に入っていきます……すでに次の患者さんの治療は終わりかけていて

「……打扰一下」

「欸,来来」

 次の次の患者さんが隣のベッドにうつ伏せになって、ハリを打たれるのを今か今かと待っているのでしょう……臀部を左右に小きざみに揺らしています。

「哎哟!」あるいは、恐怖ゆえにわなないているせいかもしれません……「妈呀!」

 中国人の患者さんも結局わたしと同じように――あるいはそれ以上の声の起伏をつけて叫んでいますが

「天啊! 我的天!」

「……〝Oh my god〟ってことだよな」

 ものの数本でやはり声の方は落ちついてきます。

「哦……哦……哦……」

 そもそも中国では何故こんなに太いハリを用いるのでしょう?

「……原来是,为什么,这么粗的针,在中国,使用的?」

 と文法的にはすこし違っているのかもしれない中国語に置き換えて、実際に治療家の張先生(老师)にたずねてみました。

「等一下儿,马上完了,治疗之后,回答你的问题……好,你说的意思是,〝中国和日本很靠近距离。不过针的粗细为什么这样不同?〟对吧? 我觉得最大的原因是皮肤的区别。我也好几个人治疗过日本的。从外表上看相似,都是东洋人。但是体质是不同。皮肤的状态是特别不同。日本人的皮肤比中国人的敏感。所以针的粗细也是这么不同」

 わたしなりに翻訳してみると、〝ちょっと待って、もうすぐ終わるから、治療後にあなたの質問に答えます……いいでしょう、あなたが言っているのはつまり、「中国と日本はこんなに距離が近いのに、何故こんなにハリの太さが違うのですか?」ということですね? 私が思うに最大の原因は皮膚の違いにあります。私も日本人を何人も治療したことがあります。見た目はたしかに似ていて、同じ東洋人です。ですが、体質は違うのです。皮膚の状態が特に違います。日本人の皮膚は中国人よりも敏感です。だから用いる針の太さもこんなに違ってくる〟といった意味になるでしょうか?

「日本人的皮肤比中国人的敏感」

 という箇所は翻訳はできてもうまく腑には落ちていなかったので、ホテルに戻ってから思い起こして、自分でこのように口にしてみて

「……リーベンレン(日本人)()ピーフ(皮肤)ビー()……」

 翌日鍼灸用品を北京市内で購入してから乗りこんだ帰りの便の飛行機の中でも、今度は頭の中で反芻し

(……日本人の皮膚は中国人よりも敏感……)

 成田国際空港に着いて、ほどなくしてジャケットをおのずと羽織っていた自分自身の体の方が先に〝腑〟に落ちていたのかもしれません……

「……そういうことなのかもしれない……」

 細かく震えはじめている皮膚の上にもう一枚羽織る皮膚のようでもあります……

「……まだ日本は肌寒い」大陸と島のへだたりとも言えるかもしれません。「……まだ春だ」

 細かい字画の〝鍼〟は中国語では〝針〟となります。

「……大陸の方はざっくり冬・夏の二季だけで」

 注射針とほとんど同じ太さの物も少なくありません。

「……島国の方には四つの季節がある」

 それだけ繊細な手技や、鍼そのもの、case.4を参照してもらえればと思うのですが〝刺さないハリ〟も存在しているのが、島国の日本です。

「……最近短くなっている気もするけれど、春も秋もあるのが日本……」

 二季になってきているようにも最近は感じますが、やはり大陸よりは季節のあおりを受けやすく、四辺を海に囲まれた地勢です。

「……良い意味でも、悪い意味でも、気候がコロコロするということは……」

 羽毛のジャケットさながら皮膚が繊細に仕立てられ……

「……それだけ体に負担がかかるわけだし……」

 世界の中でもとりわけ皮膚疾患をかかえる方が多いという論文を目にしたこともありますし……

「……皮膚も過敏になってくる」

 皮膚にトラブルをかかえる患者さんが臨床上もとてもとても多いです……

「……これしかない」

 生ぬるい暖房の入っている京成スカイライナーに乗りこんで帰宅した後には、夕方から開院する予定になっていて……

「……こういうことだったんだ!」

 一人目の患者さんがアトピー性皮膚炎をかかえていらっしゃるということにも、わたし自身が過敏に反応して、このようにややオーバーかもしれない結論で毛穴やこのcaseまで閉ざそうとしているのかもしれません……