case.8  メイゲン

「いったいどうなってるんだいッ! どうなってるんだいッ! どうなってるんだッ! どうなってるんだッて! どうなってるんだよッ!」とさらに強まっていこうとする口調を耳にして、わたしは最初電話のかけ間違いではないかと思いました。「どうなってるんだッ! おいッ!」 

 それともそっち系のひとか……

「……あのぅ」

 と、わたしは取り立てに来られるような借金はしていないし、開業時はいくらか借りていた公的な金融機関からの資金もすでに返し終えているし、ここも土地の権利がグレーになっているような場所ではないことまで続けて言おうとしたところで

「おいッ! しりが痛てえんだよッ!」と電話口の相手の方が一方的に話を進めてきます。「しりがッ!」

「……しり」

「しりだよッ! お・し・りッ!」まだこの電話の主旨はわかっていませんが、どうやら間違い電話ではなさそうです。「肩にいろいろやってもらったのによッ!」

 そして今日診た患者さんのようです。

「……あぁ」
 

 肩の痛みを訴えて来院した患者さんの見目形を声から逆算するように思い出して、たしか70代後半だった年齢の予診表の記述も思い出していきます。たしか 〝 会社員 ( 嘱託 ) 〟 と職業欄に記述していた方です。

「 〝 あぁ 〟 じゃなくて、しりが痛くなっちってんだよッ! 帰って一眠りしたらッ!」

 すでに閉院時間はすぎています……

「いったいどうなってんだよッ!」というクレームじみた疑念は、自分自身の体にかかっているようにもきこえてきます。「いったいどうなってんだッて! オレの体!」

「……はい」

「 〝 はい 〟 じゃなくてッ!」

「……あぁ、えーと」 〝 すいません 〟 はまだ言うつもりはありません。予診表の下にも注意事項としてきちんと書いてあることでもあります。「……それで、肩の方はいかがですか?」

「肩ッ?」

「……はい」何で? という感じできき返してきたので、当初の主訴を思い起こしてもらうように促します。「……肩の痛みを主に訴えて来院されましたよね」

「そりゃそうだ」

 もちろんその事実はこの男性も忘れていないでしょう。

「……今でも 〝 ジンジン 〟 」と書いてあったはずですし、口でもそう訴えていたはずです。「……と痛みますか?」

「ジンジン?」と他人事のように一度とぼけてから、まぁそうだな……と独り言のように落としたボリュームと同じくらいの空気音がしてきます。「んー」

 ジンジンというようにもだんだんときこえてくる音は、肩でも回してあたりの空気を割っているせいでしょうか。

「痛みは今はほとんど感じねぇかな」

 ということは、予診表の注意事項に記してある④のパターンでしょう。

 ①  それまで動かなくなっていた血行がせきをきったように巡りだし、一時的に
    だるくなることがあります。
 ②  症状が一時的に悪くなることもありますが、たとえばそれは風邪なら普段
  は三、四日かかる所を一、二日で治そうとする力が付いてきたように、周
  期を短縮するためのものです。
 ③  一時的に貧血を起こすこともありますが、それも血行が急に巡りだしたせ
   いですので、足を少し上げた姿勢で横になって頭にのぼった血を下げ、し
  ばらく安静にされてください。
 ④  一番目の症状が消えたことで、それまで隠れていた二番目の症状を自覚し
   始めることもありますが、症状そのものは一番目より軽くなっているはず
  です。
 ⑤  当日の体調や体質によって毛細血管が張り巡らされ、内出血を起こしやす
   い方もいらっしゃいますが、一、二週間ほどで消えていきますのでご安心
  ください。

 これら5つをまとめて東洋医学的にはメイゲンという言い方もするのですが、一般の方には通じない単語でしょうし、わたし自身もなかなかすぐには書けない漢字なのです。

「……ですよね」 〝 瞑眩 〟という漢字だったでしょうか。「……ええ」
 瞑眩と書いて〝 メンゲン 〟 や〝 メンケン 〟 と読むようだった気もしてきます……

「〝 ですよね 〟 ?〝 ええ 〟 ? だとぉ?」

 わたしの発言自体もメイゲン( 迷言 )のように扱ってきますが、あきらかな好転反応の一つです。

「副作用っつーやつじゃねぇのかぁ?」〝 副作用 〟 ではありません。「こんな話、きいてねぇぞぉ」

 おそらく予診表の注意事項には目を通していなかったのでしょう。

「……それは副作用ではなく……」治療後に軽快そうに肩を上げ下げしている姿を目のあたりにして、口頭で言う必要もないようにわたしが判断したことは事実です。「……好転反応の一つで……」

「コーテン?」

「……えーと」なかなか口頭で説明するのが難しいことも事実です。「……体調が良くなっている反応の証拠です……」

 きっとこういった所にも、東洋医学がなかなか万人にまではウケていない理由があるように感じられてきたので、言葉での説明をいったん諦めることにします。

「……ジンジンですか?」〝 音 〟 に切り替えます。「……そのお尻の痛みは?」

「ジンジン?」

「……肩の方は〝 ジンジン 〟 でしたよね?」

「あぁ、そうだなぁ」と語尾をのばしながら、返事のみならず、音の表現もさぐっているようです。「そうだなぁ」

「……ええ」

「シンシン、つー感じかな?」

「……シンシン」高齢もあるのでしょうが、尻( 臀部 )につながる坐骨神経が慢性的に圧迫されているのでしょう。尻の痛みを軽くしたら、今度はヒザや足首の痛みを訴えだしかねません。「……濁点はとれましたね?」

「濁点?」

「……ジンジンではなく」

「あぁ、まぁ。そうだな」とようやく納得してきてくれているようです。「今こうやって子機も持てとるしな」

「……子機」

 電話の形状については察しかねますが、今このように治療当日に長電話をできているのですから、①②③⑤は問題なさそうです。

「……次はもう少しハリの数も増やしますね」初回ということに加えてご高齢ということもあって、たしかにハリの数は抑えていたのです。「……ヒザや足首にも打ちましょう」

「ヒザや足首?」

 再びメイゲンのように扱ってきますが、〝 迷 〟が〝 名 〟の字であるような可能性も一抹残してきます。

「ヒザや足首も二番目三番目くれぇに痛えんだよ」

「……そうですか」

「何でわかったんだよぉ?」

「……いえ、なんとなく」

「そうだなぁ」

「……ん? あぁ、はい、またそれですか……」

「ツンツンと」

「……ツンツン」

「チクチク、つー感じかなぁ」

「……チクチク」

 チクチクにまで、わたしはハリをチクチクと当てていくべきなのでしょうか……東洋医学は〝 音 〟でも難しい所があります。