case.33  もう今年も半分過ぎちゃったんですね

「シュソ? フクソ? あぁ、一番の訴え、二番目の訴えっていう意味ですか……んー、ないですかね、とくに」

「ない」

「自覚としては、ってことなんでしょうけど」

「はい」

「ためしに受けてみようかと」

「ためしに」

「テレビでやってたし」

「テレビ」

「ハリとか灸とか」

 最近メディアでとり上げられる機会が増えているらしく ―― このことはいずれ先のcaseできちんと触れる予定でいますが ―― 主訴をまったく持たずにご来院になる患者さんも多くなっています。

「健康のことなんて、前はあんまり考えなかったんですけど」おっしゃる通り、健康意識の高まりもあるのでしょう……「ウカウカ風邪もひいてられない状況じゃないですか?」

「状況」

「そういう時代ってこともあるし」

 時代……

「そういう年代に自分もさしかかっているっていうことなのか」

 年代……

「ええ」

 そういう時代なのか? あるいは年代なのか?

「でも、早いですね」本人にとっては世間話のつもりだったのでしょう。「もう今年も半分過ぎちゃったんですね」

 という発言に、わたしは一番聞き耳を立てました。

「……もう今年も」というのが、この方の〝主訴〟になるのでしょう。「……半分過ぎちゃったんですね」

「ん?」

「……ん」

「ずっとわたしの言葉を反復していますけど」

「反復」

「わたしの手足やお腹を触る方に集中しているんでしょうけど」

「集中」

「もう今年も半分……えーと、自分でももうすぐに忘れかけちゃっているどうでもいい言葉を」

「言葉を」

「一番大きな声で反復しませんでした?」

 髪の毛の太さにも満たない細い細いハリですでに刺し始めていた手を、一度止めます。

「それがあなたの主訴ですから」

 次は患者さんが反復する番です。

「シュソ」

「〝主〟な〝訴〟え……主訴」

 時間にはざっくり分けて二種類のものがあり、①は体外、②は体内というようにまずは分けさせてもらいます。そのようにざっくりとでも分けた方がわかってもらいやすいからです。

  ① 体外の時間

  ② 体内の 〃

 勘のいい方にはすでにくり返しのように感じられてしまう話かもしれませんが、①の体外の方は秒・分・時間・日・月・年・ひいては世紀といった単位に換算できる時間であり、べつべつの体が数字に置き換えて共有できるという意味合いでは〝公〟の時間とも呼べるかもしれません。

  ① 公の時間

 というように実際に呼んでしまうと、②の方には〝私〟が来ることになりますが、かならずしも①と②は対立しているわけではありません。

  ② 私の時間

 基本的には②の方は数値化しづらいものですが、②の方も数値化しているお体もあるのかもしれない可能性も排除できない意味合いにおいても〝私〟と呼べるのでしょう②と、①の時間の順序そのものを転倒させているお体ももしかしたらあるのかもしれません。

  ② 体内の時間

  ① 体外の 〃

 というようにここではあまり混乱させたくないために①・②の数字の方はそのまま持ち越して用いさせてもらいますが、この世に自分の体が生まれてこられたからこそ ―― ②が生じたからこそ、①を自覚・認識できるようになった……という立場からすると、〝時間〟という名称そのものにも何かしっくりと来ない ―― 実体に即していない違和を感じるようになるかもしれません。

  ② 体内の流れ

  ① 体外の 〃

 というように〝時間〟という性質そのものを実体に即して ―― と言う時の実体の〝体〟はもちろん自身の〝体〟のことであり、流れ・速さ・移ろいといった類義に共通しているのは液体という実体であり、少なくとも固体ではありません。もしかしたら気体なのかもしれませんが、〝気〟を含めて、ここからがハリ灸の出番です。

「シュソってつぶやいた次の言葉が、デバン?」主訴としてどのように説明しようか ―― ここまで考えている内に、いったいどれくらいの時間が〝流れ〟ていたのでしょうか?「出番? どういうこと?」

「えーとですね……つまり」

「ハリ灸の出番?」

「……ええ」

「もうハリも打って、灸も据えているじゃないですか?」

 黙ったままずっと……とも語を継いでくるこの患者さんを聞き手に一応想定していたので、たとえわたし独りの黙考ではあったとしても、多少速度は落としていたと思います。

「あとは最後に脈を診て」手の方はひとりでにハリ治療ならびに灸治療の方を再開していて、すでに終盤にさしかかっているようですが……「今日の治療はおしまいになりますね」

 まあこんなあんばいの時間ではないかと。

「治療開始からすでに……」①は速いとも遅いとも感じません。「……五十五分が経過していますね」

「まあそれくらいですよね」

「……ええ」

 患者さんの方もこの一時間弱となる治療時間についてはちょうどいいように感じているようで、短くも長くも感じないですねとおっしゃいます。

「まあ一年間の方を年々速く感じるようになっているのって、きっと慣れもあるんでしょうね」

「慣れ?」

「ほら、よく言うじゃないですか? 0歳児の時には永遠のようだった1年間が1分の1で、2分の1、3分の1、4分の1……っていう風に分母が」という表現じたいは異なりますが、年齢を重ねていくごとに①を速く感じるようになる仮説をたしかにわたしも耳にしたことがありますが「もうすぐ50になるから、50分の1に1年間を感じているっていう」

「……んー」という音を①においては10秒間ほど間延びさせながら、でもそれって認知機能が落ちていった先のご高齢の方にもあてはまるものかどうか……やや否定寄りに考えつつも、口には出さずに「……んー」

 口に出して、また患者さんの②を乱したくはないので

「……んー」

 さらに5秒間ほど一音をひき延ばし続けて、脈の速度・回数の方も同時にとっていきます。

「……んー……ちょうど60でそろっていますね」

 〝10秒間〟も〝5秒間〟もこの患者さんの脈からえた情報です。

「60? いや、わたしはまだ50にもうすぐ……」

「②と①が」

「マルニとマルイチ?」

  ② 体内の血行

  ① 体外の 〃

 ハリ灸によって②の速度を上げ、速く感じられていた①とそろうような治療をしたつもりですが

「②と①ってこと? っていうか、なんで逆? いったい先生はさっきから何をおっしゃっているんだか……」もしかしたら①の方が通常より速くなっていたのかもしれません……「あッ、また」

「ん?」

 施術着から私服に着替えているのでしょう患者さんに、カーテンごしにたずねてみます。

「スマホみたんだけど……ほら」すでに着替え終えているのでしょう……わたしより②が速くなっているのかもしれません。「ニュース速報で……まったく世の中が物騒になってきたわね」

 ①を落ち着かせるためには、どのような治療が必要なのでしょう……とりあえず当院はもうしばらくハリとお灸だけで踏みとどまってみます。