case.29 旧石器時代
陸がどこまでもどこまでも続いていて、空がどこまでもどこまでも続いていて、陸と空はどこまでもどこまでも交わりません。交わる一線を追い求めてただひたすら歩き続けている内に日が落ち、夜が明け、日が落ち、夜が明けます。今日もまた一日歩き続けます。ここにはまだ一線がないのです。もちろんハリの一線もないので、すでにくたくたに歩き疲れて、スネがぱんぱんに張り、腰で脊椎を起こすのも辛く、四つん這いになる瞬間も、一瞬、二瞬、三瞬……と、すでに〝瞬間〟ではなくなっています。すでに一時間以上は四つん這いの状態になりながら、やがて這うこともやめ、その場に寝ころんでしまいます。夢なのか……現実なのか……夢と現実の方も陸 - 空同様どこまでも並行しているらしく、境界となる一線は見えてきていません。いつのまにかまた夜が明けています。

ただこれまでと異なるのは、肩と首が凝ってしょうがないことです。腰と膝もかもしれない。足と手も……どっちが足で、どっちが手なんだろう? 四つん這いに起き上がるのがやっとで、ツノが生えてきてもおかしくないような〝腰〟と〝肩〟の間の何と呼んでいいのかわからない部位には強いかゆみがあり、手足をのばしてみても、四本のどれもが届かない地点にある。まだ一線はここには存在していない。あるのは……石のみです。はじめから存在していたでしょうか? 自分の体同様ころがっているのは陸の方ですが、もしかしたら空の方から降ってきたのかもしれない〝空〟想の方に頭が進んでいった時には、すでに手足の一本のどれかが〝手〟にしている石で、グリグリやり始めています。
クリクリ
というようにもきこえていますし
コリコリ
というようにもきこえています……〝凝り〟の語源かもしれないことまで空想が地続きに進んでいった時には、肩やら首やら腰やら膝やら手やら足やらお腹やら……つまり全身の至る所にその石をコリコリやっています。
ヒリヒリ
という音というより感覚をおぼえ始めてきた所で、石を置き、再び二本の足で立ち上がり、左右の手を振りながら歩き出していきます。
ピリピリ
していたのかもしれない心の方も軽くなったらしく、軽快に一歩一歩を進んでいく体に合わせて、思考を巡らせていっています。
ビリビリ
本当にこれは〝巡っている〟のかもしれない思考そのものに思考が巡っていった時には、周囲の石は長く、そして細いものもちらほら見かけるようになっていて
ビリビリ
というどこからともなく木霊してきている音に合わせて、皮膚の表面を破ることも、この陸と空を突き破る体そのものをも作り上げていきます。
ビリビリ
自分の体そのものが雷のようにもなった気になりながら、一歩一歩 ―― 一秒一分一日一週一月一年一世紀ずつ巡っていきます。
バリバリ
たしか〝ヘンセキ〟という名前だったはずです……セキは石で、ヘンには同じく石のヘンをあてていたはずである古代の文献にまで思考は巡っていっています。
其民食魚而嗜鹹。皆安其處、美其食。魚者使人熱中、鹽者勝血。故其民皆黑色疏理。其病皆爲癰瘍。其治宜砭石。故砭石者、亦從東方來。
其の民、魚を食して鹹を嗜む。皆其の處に安じ、其の食を美とす。魚なる者は人をして熱中たらしめ、鹽なる者は 血に勝つ。故に其の民、皆黑色にして疏理なり。其の病、皆爲癰瘍となる。其の治、砭石に宜し。故に砭石なる者は、亦た東方より來たる。
(黄帝内経『素問』「異法方宜論篇第十二」紀元前200年頃)
ハリハリ
というようにもきこえ出しているハリ―― 針 ―― 鍼の起こりにあたる砭石であり、ヒトはまずはそのあたりの石で自分の体のコリやイワに当てて、結果として自己治療をおこなっていたのでしょう。
ハリ
という一線に何世紀もまたいで進んでいった所で、わたしの視界にも上下に割れる一線が生じ、まぶただったのでしょうそのまぶしい光の先に、ステンレス製のいつもの自前のハリの姿が現れます。
ハ……
夢の終わりと共に、現実の始まりと相なりました。
ハリがなくなったらどうしよう……
という思考――ハリにかぎらず何かしらの道具を用いた生業をもつ人にはもしかしたら共通しているのかもしれない思考・不安に苛まれていた就寝前のことにまで巡っていった所で、さっそく内くるぶしの下に一刺し。
ハリハリハリハリ……
と響き続けている耳鳴りには、耳に刺せばいいわけではありません。症状のある部位に刺すのではなく、遠く遠くに離れた部位に――未来の方角に刺した方が効果が上がることを発見するには、さらにもう少し時間を巡らなければなりません。
ボツボツボツボツ……
なのか
ツボツボツボツボ……
なのか……
ツボ
という雨音がずっとずっと向こうの方からうっすらきこえてきています……