case.9 逆子
そう頻繁にあることではありませんが、ヒトの人生に一度か二度あるかないといったケースには必ず鍼灸院をたずねてくることがあります。
「ちゃちゃっと据えてほしいんですが」鍼灸院というより、このケースにおいては灸院で構わないような口ぶりです。「シインってツボに灸を」
特定のツボに灸さえやってもらえればどこでも構わないというような口ぶりで入ってきて、すぐにベッドに横になります。
「そこ、そこ」妊婦さんということもあるでしょう。旦那さんと思しい男性が院長のように勝手に横にならせてから、わたしを助手のように扱って簡単に事情を説明してきます。「妊娠30週目で、エコーの検査で逆子と診断されているんで」
という言葉だけで説明は十分だろうと言わんばかりに、あとは黙ってわたしの一挙手一投足に注視し続けます。
「……28週目くらいまではまだ胎児もおなかの中ではぐるぐる動き回りますが」などと念のためわたしの方で事実関係をつぶやきながら、間違っていることがあれば否定してもらうようにします。「……それ以降は大きくなって動かなくなってきますからね」
灸を据えはじめているわたしの手にも、灸を据えてこようとするような熱い視線を感じ続けます……
「……ええ」それも初代と二代目の遺影が掛けてある南西の方角からの日の光を伴った視線なので、本当に自分は師匠や神々しい存在に見張られているような気分にもなってきます……「……ここで合っているよな」
と自分の耳にのみ届くくらいのボリュームにして、シインというツボの位置についても改めて確認したりもします。
「……足の第5指外側爪甲根部、爪甲の角を去ること1分……」
要は、足の小指の外側の爪の根元から横に1分離れた位置のことです。
「……合っているよな」
と引き続きつぶやきながら、灸を一壮一壮丁寧に据えていきます……モグサを二本の指でより出し、反対の手の二本の指で先っぽをつまみ取って、ツボの上に置き、線香を介して火を点けていく……
※ 続きは『本を気持ちよく読めるからだになるための本――ハリとお灸の「東洋医学」ショートショート』(晶文社)でお楽しみください。