case.16 〝 脊柱管狭窄症 〟
「脊柱管狭窄症なんて、もう良くならないですよね?」という電話が事前に入ります。「もう手術するしかないですよね?」
通院している病院や整形外科や整骨院などででも、そう告げられたのでしょう。
「……えーと」 〝 ハリ灸でしたら良くなりますので、手術しなくていいですよ 〟 とでもつい返事をしてあげたくなってきますが、こればっかりは電話口では返すことができません。「……診てみないと、何とも」
という煮えきらない言葉しか返しようがありません。実際に体の状態を診てみないと、何とも言いようがないのは事実なのですが……
「治せるなら、治せる! 治せないなら、治せない! ってハッキリ言ってくださいよ」
「……まぁ」
「治療代を稼ぎたいのはわかるけれど」
「……いえ、そういう意味ではなく」
「患者の側にもっと親身になって下さいよ」
「……いえ、親身になっているからこそ……」
「そっちに移動するだけでも、腰が辛いんだから」
というのは、まぁその通りでしょう。
「……ええ」すでに 〝 脊柱管狭窄症 〟 という疾患名が付けられているのです。「……お辛いですよね」
〝 脊柱管 〟 というのは管という字をあてはしますが、頚椎・胸椎・腰椎とある背骨の一つ一つにある椎孔と呼ばれる空間が管状に連なっていることからそう呼ばれ、積年の腰や背中等への負荷によって空間が狭くなり、中を通っている脊髄が圧迫されて、歩行などにも支障が出てきているのが名称の由来です。
「ちょっと休めば、普通にトコトコ歩いていけることもあるけどさ」というような所も特徴的ではあります。「また痺れてきたり、痛くなってきたりするから」
排尿障害なども出てきた場合には、脊柱管を狭くしている部分の骨や靭帯を削る手術等が奨励されるようですが、やはりなるべくなら手術は受けたくないのでしょう。
「手術して、かえって他の場所が痺れだしたり、疲れやすくなったりするみたいな体験談も、耳にしたことがあるし」
脊髄という四肢の末端にまで神経を巡らせるデリケートな場所の問題であるため、そのような後遺症めいた症状が新たに発症することもあるのかもしれませんが
「……ええ」依然として気のきいた返事はわたしの方からはできないままです。「……そうですか」
やはり実際に腰や背中や首といった体の背部の状態を診てみないことには、何とも言えません……
「 〝 そうですか 〟 って」
背部だけでなく、やはり表裏の関係で互いにバランスをとり合っている腹部の状態 ―― きちんと力が入っているか、血色はどうか、張りがあるか、背中が折れ曲がってお腹にまでシワができていないか……といったことを診ないと、治療によって症状がどれだけ緩和されるのかが読めない所も多いのです。
「……やはり実際の状態を診てみないと」
もちろん一回二回、願わくば三回四回治療を受けていただいて、その反応を見きわめながら診療を進めていきたい所ではあるのですが、そこまでの肉体的かつ経済的でもあるのかもしれない負担まで強いることはできません……
「だから、そっちに移動するだけで辛くなるんだから」小さくない交通費もかかることになるのかもしれません……「タクシーってことになっちゃうでしょ」
「……ええ」
「 〝 ええ 〟 って」
「……ええ」
こう返すほかないのです。
「まったく」
「……ただ、来ていただいたからにはきちんと診て、治療も致しますけれども」
と返すので精いっぱいです……
「ふう」あとは患者さんの自由です。「はぁ」
深いため息のようでもあるし、すでにこのやりとりだけで疲れだしているようにもきこえてきます。
「ほう」
基礎的な体力も落ちてきているのでしょう。
「そお」
これからトレーニングやストレッチなどに励んで血肉を柔らかくするのはすでに難しい段階にあることを、この声のやりとりだけで何となく感じとっているので
「……まぁ無理はなさらず」よけいわたしの方も慎重になっているのです。「……ええ」
「最後に残された力を振り絞って」
「……ん?」
「行ってみようかしら」
と終末の駆け込み寺のようにも扱ってきますが、なるべくなら一番はじめに通過すべき玄関や間口のような治療が、ハリとお灸なのです。
「はいつくばってでも」
はいつくばってでも来るような場所では本来ないように感じているのが、正直なところです。
「……そんなにまでして」ハリ灸というのはもっと手近で身近な医療のはずなのです。「……来ていただかなくても」
※ 続きは『本を気持ちよく読めるからだになるための本――ハリとお灸の「東洋医学」ショートショート』(晶文社)でお楽しみください。