case.13 カゼ
「先生には日頃からお世話になっているので」時々治療院に来る患者さんです。いつもはとくにこれといった症状はなく、健康増進のために来院してくれるハリ灸にはもってこいの患者さんです。「少しおすそ分けを」
と今日は施術を受けに来たのではなく、何かの品をもってきたかのように言葉を続けてきます。田舎から届いたおコメやお酒といったところでしょう。
「いつもありがとうございます」
と礼までのべてから、椅子代わりにベッドに腰かけてきます。おすそ分けの品はどこでしょう?
「……はい?」
と、ついわたしも催促するように言葉を返してしまいました。
「はい」
「……はい」
「はい」
「……はい」
「はいぃ」
少し声がしゃがれているでしょうか。一向に見えてこないおすそ分けの品のことより、目には最初から見えない声の変容の方にひっかかりだしてきたので、めずらしいですね、とわたしの方から言葉の内容を変えました。
「……カゼですか?」
顔色もやや赤みがかっているのです。
「自分としたことが、夏気分のままクーラーをガンガンつけてランニングで寝てしまって」すでに九月の中頃をすぎています。それも昨日は気温の落差も激しかったのです。「朝起きたら、こんな状態です」
「……こんな状態」
「体温もためしにさっき測ってみたら、37.7。ひき始めですかね。セキも出てきていて」と自己申告してから、わざとらしく二度三度セキをします。「ゴホン、グォホン、グォフォン……」
と、どんどん人語から離れていくように、セキ払いをためしにしてみたために止まらなくなっているようでもあります。たしかに 〝 ひき始め 〟 なのでしょう。
「グォッフォォン……すいません、カゼなんて本当数年ぶりですから」
「……そうですか」
どうやら今日はカゼの治療のために来たようです。
「カゼなんて」とやや見下している口ぶりからしても、カゼを簡単なもののようにとらえているのでしょう。「すぐに治せますよね、先生? だから、わざわざもってきたんです、病院よりこっちに」
「……もってきた?」
おそらく 〝 伝染しにきた 〟 という悪意のあるものではないでしょう。
「ええ、おすそ分けとして」
※ 続きは『本を気持ちよく読めるからだになるための本――ハリとお灸の「東洋医学」ショートショート』(晶文社)でお楽しみください。