サンプル ② 朝倉宏景さま(30代男性)
「すいません、マスクをつけたままの治療でもいいですか?」
2020年の3月の9日。新型コロナウイルスが未曽有の事態を引き起こしている中、ご来院くださいました。
「……あぁ、えーと、まぁ……」とマスク姿に面食らって初対面のように対応してしまいましたが、開院当初から月一回ほどのペースで通院いただいている患者さんです。「……いいですよ」
「よかった」
「……ええ、こういうご時世ですので」
「これ」と免罪符のようにも紙袋を手渡してこられましたが、そのような気遣いは本来はなくて大丈夫です。「一周年のお祝いです」
「……あぁ」
「3月5日でしたよね」
「……まぁ」
どうもありがとうございますと続けながら、ベッドの方にご案内します。
「先生にもウイルスに負けない体力をつけてもらうために。先生が倒れられたら、ぼくも……」
着がえていただき、早速治療の方を始めていきます。
「いつも舌を診たりしていましたが、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です、手の脈やおなかの方をきちんと診せていただければ……」
それにマスクからはみ出た顔の色合もきちんと診てとれば、大体のことはわかります。
「おなかの方から打っていきますね」
「あぁ」
「おなかが体の中心ですので」
おそらくこれまでにきき飽きているくらいの説明を、やはり初診の患者さんのようにおのずと行なっています……
「下腹がぺこぺこですので、きちんとハリで〝気〟や〝血〟を補っていきましょう」
という専門用語めいた言葉にもすでに免疫があるようです。
「はい、こういう時だからこそ、免疫や〝気血〟をつけておかないと」
「次に足にもハリをしていきますね、上の方が熱や炎症を起こしやすいので……」こういうご時世なので、わたしも〝肺〟の〝炎〟症を想定しておきます。「……きちんと足の方にも血行が集まって、全身ではね返したり、受け流せるように」
「やっぱり上の方が熱とかこもりやすいんですか?」
「……心臓は上の方にありますので」
「なるほど、だからか」
肺がその心臓のすぐ隣にあることまで、わざわざ付け足す必要はないでしょう。
足と手の方にもハリをして、全身に気血をなじませるために少し時間をおくタイマーをセットします。
「少し時間を置きますね」
といういつものセリフを吐いた後で、臨時ではあるものの、〝いつも〟にだんだんとなりつつあるセリフをもう一つ付け足して、頭を少し下げます。
「少し肌寒いかもしれませんが、換気を一度しますね」
「しょうがないですもんね」
おそらく了承ということなのでしょう言葉を受けてから、5~10分ほど窓を開けます。
「衛生管理を徹底するために、一時間に一回以上は」
という後続の言葉の方が強くひびいてしまったんでしょうか……
「すいません」
と何故か謝ってこられます。
「こんな時期に来てしまって……」
タイマーの音が患者さんの弱々しい言葉尻をとらえながら、窓の外にまでこだましながら運んでいった所で、わたしもお体に刺さっているハリと共に体内にこもっている弱々しさを外に抜き出していこうとします。
「いえいえ、ご来院いただき感謝です。これから背中にもハリを打っていきましょう」
うつ伏せになってもらい、ふくらはぎや腰や背中や首の方にもハリを打っていきます。
「息苦しくないですか?」
「……ちょっと……」
「穴のあけられるベッドなので」
枕をどけて、カバーをとります。
「あぁ、ずいぶん呼吸の方もラクです」
「ええ」
「これならマスクのままでも問題ないですね」
という言葉を受けたわたしの体は、患者さんの腰の方に今はあります。
「ええ」
「ん? すいません先生、もうちょっと大きい声で」
腰に冷えが感じられたので、お灸を置いていきます。
「あったかくなってきた……」
正確にはハリの上に灸を置いたのです。
「……ですよね」
〝灸頭鍼〟と呼びます。
「そうですよね……院としては来てほしいですよね」
「……ん? 何の話で……」
「さっきの、ほら」
「あぁ……まぁ、こういう時だからこそ、マスクやアルコールなどの外部の物に頼りすぎずに、自分の内側の状態を高めて……」
「頼ってほしい、っていうことですね」
「……ええ、まあ、呑みこみが良くなってますね」
「なんか頭がスッキリしてきました」
「……よかったです」
「じゃあお礼に何か協力させてください」
すでに一周年記念のお祝いまで頂いてしまっているのですが、それでは気がすまないようなので、これからの患者さんのためにもそろそろ ② がほしい所ではあったので、ためしに切り出してみました。
「……じゃあサンプルなどは?」
「サンプル? あぁ、あのホームページの?」
こちらの返答を待たずに、いいですよ、と続けてきます。
「あれって、美容ハリでしたよね? 実は今日は全身治療がOKなら美容ハリも受けたかったんですが。ずっとマスク生活で、肌も逆にカサカサになってきていて、まぶたも重くなっていて……」
「いいですよ」
「マスクのままでもいいですか?」
「もちろん可能です」
内出血防止とリンパの流れをつくるためにローラーのハリで擦った後に刺していく美容ハリは、20~25本ほどで、少なすぎも多すぎもしない本数ではあります。
「痛かったら言ってください」
「全身のハリより細いんですよね? 大丈夫です」
それでもシワになりやすい顔の細かい筋肉の合間や、水気がたまりやすかったり、シミのできやすい頬などにはきちんと打ちます。
「全身にも相当数打ってきていますから」
「やっぱ全身とセットなんですかね」
「健康が美容の基本でしょうし」とどこかですでにきいたような言葉を受け売りしながら、時間を潰しています。「顔だけに打つだけだと、持続性も低いので」
〝美容ハリ〟のメニューの場合も、お顔に気血をなじませるために少し時間を置いているのです。
「ですから……また……えーと……そのぅ……」
と話すことがなくなってきた所で、患者さんの方から助け舟のようにまったく異なる話題を出してきます。
「そのカメラって、写真だけですか?」
「……ん?」
「動画は?」
「……動画? あぁ、撮れるとは思いますよ……そう長い時間じゃないと思いますけど……なんで……」との言下に、じゃあこの一年間でも振り返りましょうか? と患者さんの方から提案してくださったのです。「……ありがとうございます」
「ずっとお世話になってきているので」
「では、ハリの方をおとりしていきますね」
「はい」
「どうですかね?」
「どうなんでしょう?」
「……んー」
マスクが3分の1を覆っています……
「……マスクの色もピンク色になってきましたかね」
「またまたぁ、先生、冗談を」
「……ははは」
「でも、ずいぶんかわった気がしますよ、自分としては」
「……たしかに皮膚の血色も明るくなりましたし、まぶたも軽そうに見えますかね……」
「背すじの方も」
「……あぁ、たしかに」
「マスクの方が少しでかくなって見える……」
「……ということは、顔の輪郭の方が小さく……」
「ただ、あまり誇張しすぎない方がいいですよね?」
「……ですね」
「あくまで、サンプルですんで」
「……なるほど」
「これくらいの文章にしておきます」
「……ありがとうございます……じゃあセットしますよ……5,4,3,2……」
「はい」
「……あっ」
「えっ? どうしたんです?」
「……またついピースが……クセで」
顔色がだいぶ良くなりました。まぶたが重かったのが、ぱっちり開きます。 朝倉