再来年の話になりますが、2024年から他都道府県に3週間~1ヶ月程度の長期往診にでる予定です。以降半年に一度程度でる予定で、往診先は院長ゆかりの土地や、一度訪れて興味をもった土地等に、一回一所ずつ往診させていただく予定です。
以下、候補地、北から
函館市・弘前市・新潟市・横浜市・志摩市・大阪市・伊予市・広島市・益田市・長崎市
以上の土地で施術スペース等をお貸しいただける場合には、お気軽にメール(info@ho-sendo.com)でも頂ければたいへん幸いです。メールがなくても、きっと行きます。
院長がこのさいたまの土地で試行錯誤をかさねた「さいたまのハリとお灸」のまま行くつもりでおります。
まだ再来年の話ではありますので、来年2023年をふんだんに使わせてもらって、おいおい詳細を詰めてまいります。理由等についてもおいおいこのページでみなさんにお伝えできれば。
2022/12/23
あけましておめでとうございます。年が明ける前からの現在の院長の気持ちとしては、新潟市か伊予市から往診を始めていこうかと。新潟市は院長が幼少期の六年間を過ごしたゆかりの土地で、〝地域医療〟という言葉の真意をとらえたときに、どうしてもその土地という身体そのものの治療に一度あたってみたいと。今となっては知り合いは誰もいないのですが……伊予市については縁もゆかりもなかった土地なのですが、

一度訪れてその気になってきております。おかげ様で日々色々な患者さんのお体にあたらせてもらっていますが、患者さんが来ても来なくても変わらない。むしろ患者さんが来ない日々こそが医療においては大切である初志にまで ―― 気・血・水さながら ―― 一周できる往診にもなれば。
2023/1/8
料金等につきましては、院長自身も〝初〟なわけですから、患者さまから初診料は頂かず、ここさいたまの豊泉堂のような設備もおそらくないわけですから、通常料金より1000円ほど引いた額で診療させていただこうかと。
ただし、現状の全身治療4500円から1000円を引いた額がそのまま往診時の料金になるかといいますと、おそらくそう簡単には問屋が卸さず……今年のどこかのタイミングで料金の値上げをさせていただかざるをえない状況となっております。
すでにみなさんも方々で実感されているでしょう物価高によるもので、当院においても現在の治療道具一式の在庫がきれる5月か6月頃になるのではないでしょうか……発表・掲示はもちろんこんな隠しコマンドのような場所ではなく、詳細がきまり次第、またあらためてトップページにてきちんとお知らせさせていただく予定でおります。
豊泉堂開院以来の大規模な料金改定になるのではないかと……ぜひそれまでに四周年記念企画の方もあわせてご活用くださいませ。
しかし、このページはけっこう便利ですね。将来的な往診について書こうものなら、大概のことが日記のように書けてしまいそうで、今後重宝してしまいそうです。
明日からは寒波。そして来週は雪が降ってもおかしくないほどの大寒波の予報。嗚呼、早くあたたかい土地にいってのんびり治療したい……いえいえ、寒い土地のみなさんのお体をあたためるのが、わたくしの使命でしたね!!
2023/1/19
こうあまりに寒いと、石垣市も長期往診「候補地」に入れたくなってきますね……
ええ、院長が開院一、二年目にあわせて4週間ほど往診させてもらった島でもあります……さいたま市は最低気温氷点下の今日も、石垣市は20℃超……思い出すだけで、なんだか温まってきます……でも、いくら温かくても、ハリ灸は受け続けておいた方がいいですよ、みなさん
2023/1/22
こちらのページをお読みいただけているのか……最近この長期往診について触れていただくことがたびたびあります。長期でいかれては困る! といったお言葉が多く、中には当院・院長にたいする思いをわざわざ開陳してくださるお言葉もあり、たいへん有難いのですが、そのようなお言葉を引き出したくて、このページをこしらえたわけではなく……何と言いましょうか? たとえば伊予市でしたら隣には松山市の道後温泉もありますので、湯治も兼ねてみなさんも遊びにきたらいいじゃないですかというような……その期間に当院以外の治療院を開拓してみるのもあるいは良いと思いますし、さいたま市以外の土地で当院の同じ治療を受けてみるのも良い経験・体験になるのではと。基本的にはご旅行としても楽しめるような土地ばかりを候補地にしてありますので、これも何と言ったらいいでしょう……当院独自の〝Go Toトラベル〟というような……いや、これはちがうか
2023/2/9
今日は休院日ですこし時間があるので、もう少し書かせてもらいますと、往診中はメールのみでのご予約を承る形になるかと。というか、最近はさいたま市の院内においても、はたして電話は必要なのかどうなのか……やはりこのページはご覧になっている方が少ないと思いますので、もう少し詰めた本心を記しておきますと、電話は一長一短あり、最近は〝短〟の方ばかり際立つようになっているなと。「固定電話のない治療院は信用性に欠けるッ!」みたいに文字通り口角泡を飛ばす助言を開業時に同業の方より複数頂いていたこともあり、なんとなく電話機を購入して、なんとなくコンセントを入れて、なんとなくではなかなかいかないようななかなか面倒な手続きをへて電話番号も取得し、現在の回線開通に至っているわけですが、はたして必要なのかどうか……ホームページよりご予約を頂く方が圧倒的に多い状況の中で、たしかに電話でご予約を頂く方もいらっしゃいますし、緊急時にはやはり電話が必要であることはよく分かっているつもりですから、この4年間多少〝引っかかりつつも〟回線の方はスムーズに通じ続けているわけですが、このあたりが限界かなと……何が限界かと言いますと……って、本心というよりもはや愚痴みたくなってきてしまっておりますが(笑)、読まれている方には引き続き本当にご笑覧いただければと思いますが(やはり一日に何回も文章を書き連ねると筆が乗るという域をこえて滑り出してきますね……鍼も似たような物ですので、一日に診療する患者さんの数を制限しているということもあるのです)、やっぱり治療中に電話が鳴って中断するのがきついんですよね。院長の心身のみならず、治療を受けている患者さんの心身にとっても。なかなか無視するわけにもいかないですし、それで一度中断して出てみたら「お忙しいところすみません、わたくし、ぐーぐるまっぷ」「ぐーぐるまっぷさん? 名字?」「はい……いえ」「ん? ご予約でしょうか?」「いや、yeah」「いや? yeah? 日本語オッケー?」「はい……いえ、店舗の中をですね…」「ん? 店舗の中?」「ええ」「治療は受けずに?」「ええ、店舗の中の写真を撮影させてもらえないかと」っていう電話だったり……院長ひとりで切り盛りしていることが多い以上は、電話対応は優先順位としてはやはり中位から後位に下がってしまうかと。メールの方は患者さんの置鍼の時間(ハリをすこしとどめて置く時間)にこまめに確認させてもらっているので、もう電話の方は置かなくていいかなと……置くのはハリだけでいいかなと……などなど。ああ、もう0時ちかくになりますね……明日も朝一番からご予約を入れてもらっているので、そろそろ毎日とっている例の
2023/2/9 就寝前
今となっては勉強や偵察などなど、べつの意味をもってきてしまうのですが、もともと〝院長〟になる前の〝患者〟時代から、鍼灸院にかんしてはいくつかレパートリーを持っておりました。「レパートリー」といった語は適切ではないかもしれませんが、患者であるこちら側にこそ主導権はあるように、内科的にやんわり整えてもらいたいなという時にはこの鍼灸院、筋肉にガッツリ打ってもらいたい時にはあの鍼灸院、なんとなく心を落ち着かせたいという時にはその鍼灸院――といったあんばいで、いくつかの鍼灸院を候補に持っていて、今となっては同業者であることが気まずい・かえって心が休まらないような時には、あまり細かいことを問診してこないような鍼灸院を選んで、ただ黙々と鍼灸を受け続ける休院日や閉院後の時間もございます(今日がそうでした)。治療する鍼灸師側からすると――もちろん、院長もその内の一介の鍼灸師として日々治療にあたっているつもりでおりますが、症状や患部にとらわれずどういった患者さんにも対応できるようないわば全人的な治療を心がけつつも、実際は限度があるのでしょう。少なくとも自分より他の治療家・鍼灸師がこの患者さんにはあたった方がいいのではと思うことは、そんなに頻度は高くないものの実際にありますので、患者さん側からしてもいくつかのレパートリーを持った上で、その都度ご判断いただければいいと思います。心身のバランスが著しく乱れているような時には、この〝判断〟じたいがうまくできなくなっていると思いますので、判断がうまくできない時にはそういった話に乗ってくれそうなあそこの鍼灸院というように、判断がつく事前の時期にあらかじめ決めてメモ等をとっておくのもいいと思いますし、今回のこの往診も上述した意味合いにおいて前向きにとらえる契機にしてもらえれば幸いです。すでにいくつものレパートリーを持っている患者さんもいらっしゃるかと思いますが、ぜひこの機会を生かして、いろいろな鍼灸にもふれてみてくださいませ。
昨日出版社の方よりご連絡をいただき、例の背中の企画、無事に通ったとのこと。その担当編集者の方の御蔭でございます。すでに少し書き始めてはいるのですが、まだまだ完成・出版には時間がかかりそうです。もしかしたら往診も執筆合宿のようになってしまうかもしれませんね……
2023/2/16
ちなみにこちらが上述の企画書になっています。院長が仕上げたもので、ここからさらに担当編集の方がまとめてくださいましたが、そちらはもちろんみなさんと同じ様にプライバシー保護の観点から非公開ということで、あしからず。
まだTwitterさんのお世話になっていた当時にご案内していた数ヶ月前の企画とは異なり、
出版予定の書籍にかんしましては、基本院長一人で背中の診察法等について記していくものになりそうであること、ご参加のみなさんには再度ご承知おきいただきたく。もしかしたら巻末で作品をご紹介できるかもしれませんが、掲載は原則ホームページ内のみになりますので、こちらもあしからず。
すこしずつ集まりだしており、順次公開させていただいておりますが、本当に貴重な資料にも史料にもなりそうですよね? ですよね? ん? え? そう思っているの、もしかして院長だけ?
2023/2/18
経絡と経穴の関係をなんとなくレールと駅になぞらえて説明することの多い院長ですが、中心部の道路のまん中を走る路面電車を目の当たりにして、経絡と経穴はJRや私鉄ではないのかもしれない……だとしたら、両脇を動脈・静脈さながら往来している自動車のための道路は何にあたるんだろう? 路面電車に乗っている人々は細胞みたいな西洋医学的な理解でいいんだろうか……などと考えながら、院長もまたその乗車する一人になっていました。往診の下見のための先日の長崎での一コマですね(撮ったのはこの一枚だけですので、少々わかりづらいかもしれませんが)

2023/2/24
いや、すみません、院長、ウソをついておりました……もう一枚撮っておりました。

長崎市内で受けた鍼灸院の写真で、なんかいい雰囲気だったものでつい……
さいたまにいる時には自分でハリをしていることもあって抑えられていた花粉症が、長崎空港から市内に入ったあたりから徐々に出てまいりまして…囲繞している風光明媚な山々から舞い降りてきているのか、くしゃみが久しぶりに止まらなくなり、目のかゆみの方も強まってまいりまして、もちろんハリは持参していたので、早めにホテルにチェックインして「さいたまのハリとお灸」を自己に施しても良かったのですが、せっかくなら当地の「ながさきのハリとお灸」にお世話になってみようと……長崎にはやはりいろいろな方がお住まいなんですね。〝針灸〟という文字通り(簡体字通り)現地在住の中国のかたがやってらしている鍼灸院を見つけて治療をうけてみたのです。
受付システムだったり、問診だったり、治療法だったり、翻って自院についていろいろ思う所も出てきたのですが、あえて割愛して結果のみ申し上げますと、完全ではないにせよ花粉症はその場で随分改善されました! ので、市内の路面電車に乗ったりうんぬん、残りの長崎滞在を楽しむことができたのですね。写真の時系列としてはこちらが先になります。あしからず
2023/2/25
昨年は候補地の弘前市の方にも下見にいかせてもらっていて、100年ぶりの石垣修理まっただ中でしたが、

まあ〝治療中〟とも言えるのでしょうね……みなさんと同じ様にお城の方ももう少し短いスパンで今後は修理や治療が受けられるといいのかもしれません。〝治療中〟の姿を見られることは何も恥ずかしいことではないと院長は思っております。
弘前市には「院長の元職場の同僚」が一方おりまして、もとは弘前の方ではないのですが、いろいろ全国地方都市を巡って、最終的に行き着いたのがこの津軽地方の旧城下町とのこと。詳しい理由はきいていないのですが、詳しい理由をきかない方が分かった気になれるような街並と自然が市内にはひろがっておりました。
その方とは「同期入社」ということもあり、ずっと縁を感じ続けております。みなさんにもそういう方は一人二人はいらっしゃるのではないでしょうか? 今の院長には患者のみなさん含め一人二人ではすまないような数の方に縁を感じているのですが、出会ったばかりの当時はそのお一人だけだったような……そんな津軽平野のように凍てついていた時期にも望郷の念をはせつつ、いずれ弘前市のためにも地域医療・往診にたずさわらせていただければと
2023/3/1
えッ!? 津軽平野って、凍てつく程ではないんですかッ!?
2023/3/4
筆勢余って弘前市に行ったのが初めてのような書きぶりになってしまったかもしれませんが、補足しておきますと、昨年が二回目でした。
一回目はちょうど30年前――院長が級長をつとめていたこともある小学校四年生のとき…学校は本当にたのしかったんですね(って、こんな個人的な回顧談、ホームページに書くべきではないかもしれませんが、まあ、この隠しコマンドめいたページの一端でしたら、許されますでしょうか…)。勉強も運動もそれなりに得意でしたし、転校生だったのですが、すぐに溶け込めるようなクラスの雰囲気がありました。
後から思い返してみますと、すこし恐ろしくもなってくるのですが、そもそもが新しい学校で、院長が転校した時でちょうど設立三年目だったか…四年目だったか…つまり、学校そのものも〝転校生〟のようにソワソワした地に足のついていない・ペンキやワニスのにおいも浮き足立っていた校舎でして、
院長が転校してきた翌月には、また新しいクラスメイトがやって来て、そしてその翌月には今度はこの学校をあとにしていくクラスメイトが2名3名いたように記憶しております。
大学病院のお膝元といっていい地域に出来た小学校らしく、半数近くがその病院に勤める医療従事者の子供たちだったはずです。地域医療・僻地医療の中核となるような大学病院で、もしかしたら親御さんの中には学生さんもいらっしゃったかもしれませんが、基本的には数年大学病院で学ぶなり勤めるなり研修するなりの経験を積んだ後は、各々の地域に戻って医療に携わります。
当院の西洋医学アドバイザーもその例にもれず、二年間だけその大学病院で研修をさせてもらい、またべつの土地へと移っていきました。つまり院長もその小学校に在学していたのは二年間のみということになりますが、良い思い出しかないですね、学校には。
学校には。
学校には……
問題は、下校後ということですね
2023/3/15
クラスメイトの半数近くは医療従事者の子供だという話はすでにしましたが、住居まではさすがにべつべつで、途上のクラスメイトのご自宅にお邪魔して、スーパーマリオブラザーズやマリオカートやドクターマリオや……マリオ系のゲームをして、遊ばせてもらった記憶があります。
「タロー君、まだ帰らなくて大丈夫なの?」
勉強も運動も得意でしたが、ゲームは不得意だった記憶があります。
「……大丈夫、さぁ、もう1ゲーム」かと言って、得意になりたい向上心はそんなになかった記憶があります。「……次は勝っちゃおうかな」
勝負事である以上は多少はうまくなりたいような向上心もあったのかもしれませんが、その向上心をはるかに上回る心情がありました。
「あ、ごめん、タロー君、そろそろ帰ってくれる?」
帰りたくない…
「そろそろ家庭教師の先生が来ちゃうから」
家族とうんぬんという話ではなく、自宅に帰りたくなかったのです。
「……そうか……それはしょうがないか……じゃあ……ばいばい」
まどろっこしい言い方が当時の下校時の院長のように続いて申し訳ないですが、自宅そのものが嫌だったわけではありません……引っ越す前の住居よりも広く、院長個人の部屋めいた部屋(完全ではなかったかもしれません)もありましたし、後から思い返してみても良い自宅でした。玄関前にはどんなに嫌なことああっても涼しい顔と匂いで出迎えてくれるスズランももとから植わっていました。
「……花だけじゃなくて、実もいいしな」
などと当時もつぶやいていた気のする通学路を蛇行しながら、行けそうなタイミングの点滅信号を待って、赤を待ち、青になって少ししてから歩き出します。
「……もう一つ待ってからでもよかったかも」
途上の公園内も横ぎっていたかもしれませんが、かえって遠回りになっていたはずです。
「……ちょっとペース落とそうかな」
さすがに〝食う〟わけではなかったのですが、〝蹴る〟くらいのことは路傍の雑草にしながら〝道草を食い〟、片道十五分程度の通学路を三十分くらいかけた気持ちになっているのに……
「……もしかしたら、今日はいない?」
すでに夕日も沈みかけているというのに……
「……いや……いる……」
ヤツラは待っています……
「……ヤツラ」というのは実際に当時もそう呼んでいたはずで、もちろん本人たちの前では使わなかった呼称です。「……ごめんなさい、遅くなって」
「おかえり」
とも声をかけてくる一人がいますが、もちろん院長の母親――西洋医学アドバイザーの奥様ではありません。まだ小さかった妹や、のちに西洋医学アドバイザー(整形外科部門)に就任する弟をみるため自宅の中にいるはずです。
「おい、タロー」
ここはまだ手前200m付近の空き地の原っぱの中であり、ここを避けて自宅に戻ることは不可能なのです。
「おめえ、なんでそんなに遅いっぺ?」
2023/3/17
往診候補地の「横浜市」は本牧地区を念頭においております。
南区と神奈川区には一年間ずつ住んでいたことがあるのですが、やっぱり中区にも一度住んでみたいなと…

ただ、そこまで賑やかなのは苦手な院長ですので、このあたりに…
2023/3/19
「四年生はもっと早くに学校終わってるはずだっぺ?」なんでこの一人だけがやたら訛っていたのか……たしかにこのような訛りのある地域ではありましたが、院長のまわりでここまで訛っているのはかれ一人だけでした。「おめえ、オレたちのこと、避けてるっぺ?」
当時はそのあたりの事情について腰を据えて考察してみる余裕はなかったので、今あらためて考えてみますと、転勤・転校ばかりのこの一帯において、ずっとここに住んでいたのはかれ一人だったのかもしれません。
「…いいえ、級長の仕事が…」
たしかかれのお父様は大学病院で役職を持っている――きっと〝教授〟とか〝病院長〟とか――エライ方だった記憶があります。
「キューチョー? ん? ああ、級長…級長?」
そのような父親あるいは母親の大学病院におけるエラさが、子供たちの関係性・階級・ヒエラルキーにもつながっていたような100%親が医者の団地に住んでいたのです。
「なんでおめえ級長なんかになってるっぺよ?」
看護師の方には〝看護師棟〟のような名前の建物の一帯もあって――もしかしたら当時はまだ〝看護士・看護婦〟と呼んでいた時代だったかもしれませんが
「…いや、なんか、ぼくがやるような流れになっちゃって…」
この空き地を中庭のように置いている向こうには、単身者や医学生さん向けのアパート? マンション? 茶色い建物が並んでいました。
「〝流れ〟って、なんだっぺよ、おい」
「…いや、まぁ、そのぉ、ぼくがやらないといけない、みたいなぁ」
「はあ?」
「…えぇ、はい、まぁ」
「はっきり答えるっぺよ、タロー」
「…ほかにぃ、やるひとがぁ、いなそうでぇ…」
このやりとりをご覧いただければお分かりの通り――少し骨を折ってもらって恐縮ですが、〝…〟や小文字等によって、声量や声音までご想像いただければ尚お分かりのことかと思いますが――いわゆる〝イジメ〟を院長は受けていわけですね。
「それで、なんでおめえが、級長になんねえといけねえっぺよ?」
「…だからぁ…いえ、ですからぁ…」
当時医大を出たての西洋医学アドバイザーがこの団地の中では下層ということもあったのでしょうし
「マル、おめえ、タローの隣のクラスだったっぺ?」
「はい…」
学年という面でみても一番下でしたが、この六、七名ほどの集団の中には、院長と同学年の子もいました。
「僕が隣のクラスの友達にきいた話では…」たしかクラスは隣でした。「まっちゃんが級長になりたがっていたって…」
その同学年の子にはたしか〝まっちゃん〟と呼ばれていたと思います。
「級長になりそうな子もいたけど…まっちゃんが一番に声を出したって、隣のクラスの友達が…」
そうでした、この子にかぎらず、同学年の子たちには苗字の方の〝まっちゃん〟で呼ばれていたのでした。
「はい、ぼくがやります、って…」この同学年の子の発言を思い起こしながら今ここにしたためていく中で、いろいろな記憶が鮮明になってきます…「先生に大声で返事をして…」
上の記述の方ではクラスの皆に担がれて級長になったかのような書きぶりになっていたかもしれませんが…
「手まで挙げて…」
実際はみずから手を挙げて級長に立候補していたこと…
「それも両手だったって、言ってましたよ、バンザイみたいだったって…」
すこしでも学校の方に長い時間とどまっておきたかったこと…
「クラスのこと、放課後もがんばります、って宣言までして…」
そして放課後の有志の清掃等にも率先して参加していたこと…
「クラス以外のこともがんばりますんで、どうかぼくにやらせてください、って…」
早く下校してしまうと、〝ヤツラ〟と過ごす時間の方が長くなってしまうこと…
「おい、タロー、ぜんぜん話がちがうっぺよ」
丘のようになっている空き地のてっぺんから、段ボールで作ったソリで延々滑り下りたり…
「バツとして、おめえが一番はじめに滑るっぺ、このソリでちゃんと滑れるかどうか」
たしかブナだったと思う大木に無謀にも登ろうと試み続けたり…
「そんな所で落ちて恥ずかしくないっぺか?」
あそび疲れると、その年長かつお父様がエライかれのご自宅に皆でお邪魔して、趣味の映像を延々鑑賞させられ…
「今日はまだ時間があっぺ、だから長い方を見るっぺ、スタンド・バイ…」
そうでした、長い方――映画の方は、アメリカの『スタンド・バイ・ミー』で…
「今日はこっちの短い方だ、昨日録画したばっかのホヤホヤだっぺ」
短い方――ドラマの方は、当時たしかNHK教育テレビで放送されていた『素晴らしき日々』というこれもまたアメリカのもので、当時はぜんぜん内容が頭に入って来ていなかったです…
「今回も泣けるなぁ」
日曜日にむりやり通わされることの多かった教会も含めて――イエス=キリストやマリア様に何かを誓う前に年長のかれにたいしてはっきりとした忠誠を誓っていたような日曜礼拝orミサも含めて、後年になって案外良い映画だった・ドラマだった・宗教だった・神聖な体験だったと思い直せたくらいのもので…
「はら減ったべ? 一人一個ずつだっぺ、ほれ、そこのスニッカーズとるっぺ」
かなりアメリカナイズされたご家庭だったように記憶しております…
「こんど兄ちゃんが帰ってくるっぺ、だっぺ、また新しいのたくさん買ってきてくれるっぺ」年の離れたお兄様もたしかいらっしゃって、アメリカの医大の方に留学されていたような…ご帰国の際のホームパーティーにも一度お呼ばれされた記憶までよみがえってきました…「おい、タロー、早いっペ」
クラッカーを鳴らすタイミングを誤って怒られた記憶がございます…
「なんでおめえもう鳴らしてるっぺ?」
この少年期の〝アメリカ体験〟のカウンターとして、東洋側の医学に院長は現在歩み寄っているような自覚まで得られてしまうくらいですが…
「いつかみんなでアメリカ行きたいっペな?」
いやー困った…
「な?」
ここまで書くつもりはなかったのですが…
「おい、な? タロー」
治療と同じで、実際に始めてみると、思いのほか時間や手間や、この場合における字数・分量がかかってしまうことがあるのです…
「ちゃんときいてるっぺか? おい、タロー」
弘前訪問が一度目ではなく二度目であることのみ、端的に記そうと思っていたのですが…
「今から空き地にいくっぺ」
ハリさながらこのペンが…
「カブトムシかクワガタがいるかもしれないべ」
このようにおのずとペンが書き進んでいく記憶に導かれていくと…
「おー、たまにはタローもやるっぺ」
本当に院長は〝イジメ〟に遭っていたのかも疑わしくなってくるくらいです…
「ナイスだっペ」そんなに大したことはされてもいなかったし、言われてもいなかったんじゃないんだろうか…「って思ったら、ああ、すぐ逃がすなんて、おめえ何してるっぺよ」
なんで院長は〝イジメ〟られていたと思い込んでいたのでしょう…
「あああ…ん?」
いずれにしましても、〝弘前〟の地名がこの記憶の中に出てくるのは、おそらくもう少し先のことです…
「おい、あそこの部屋の窓から手が出てねえか?」
その先に〝イジメ〟と正真正銘呼べるような決定的な何かが待ち受けているような気にもなってきています…
「オレたちのこと、呼んでるっペ? あのお兄さん? いや、お姉さんだっぺ、ほれ、こっちに手招きしてるっぺ」
2023/3/24
ちょっと中休みに院長もハリを受けてきました…

中休みにはならないような、きついきついハリでしたが、左膝の古傷にはこういうのが一番効果が持続するんですよね…
院長自身も往診先で自分の治療をしてくださる良さげな鍼灸院を見つけないと
2023/3/28
もちろん背中の方にもハリを打ってもらいましたよ! いま当院界隈で話題のアノ! 3本打たれたくらいで、自宅どころか、実家に帰りたくなってくるようなハリでしたが…

本当にたくさんのすばらしい作品が届きましたね。みなさんもすでにご覧になったでしょうか? 中には〝針〟違いの刺繍のものや、切手等を貼り合わせたものの現物を直接頂いていたりするので、院内でも掲示してみようかな…などとも検討して始めているのですが…
こう、どうなんでしょう…豊泉堂が前衛的になり過ぎないでしょうか? まったく背中企画に関心のなさそうな患者さんもけっこういらっしゃるんですよ、〝さいたまのハリとお灸〟を屋号にのせているので…埼玉の人ならともかく、さいたまの人ってこういうの、そんなに好きじゃないですよ? すいません、今さらこんなことを企画者が言い出しちゃって…でもほんと、びっくりしないですかね、院内の玄関やトイレやベッドとかで背中の作品を見つけちゃって…その後のフォローや説明も大変そうですし…そもそもなんで開院4周年企画が〝背中〟なんですか? 後ろ向きすぎません?
2023/4/4
ああ、そっか…〝4〟は〝四〟で背中の肩甲骨みたいだからか…

2023/4/6
四年生は自分の方なのに、〝四〟のような背中をもっているのは、ヤツラの方なんだ…
「おい、タロー、ぐちぐち言ってないで、早くついてくるっぺ」
警戒心よりも好奇心の方が上回っているような角張った上級生数名の背中を追って、院長もおそるおそるついていきます…
「おい、なんでそんなへっぴり腰なんだっぺ?」知らない大人からの誘いに乗ってはいけませんーーという学校の先生の話や、道徳の授業を、この上級生たちは受けていないんだろうか?「おい、マルとアキも」
顔も背格好もすぐに浮かんでくるのですが、本名の方は〝マル〟と〝アキ〟以上出てこない同級生の四年生二人も、いくらか及び腰になっていて、漢数字に無理やりあてはめてみると〝八〟のような力のない背中だったような…
「一番おせえのはやっぱタローだっペ」
そんな前方六名全員の背中を見渡せる最後尾の院長の背中は、いったいどの漢数字だったんでしょう?
「ほれ、またぐちぐち言ってるっぺ、タロー」
漢数字ではなく、アルファベットの〝SOS〟だったような気にもなってきます…
「ほれ、タロー、おめえから声出して、きいてみるっぺ」
「…え」
「ほれ」
「…なんでぼく…」
「〝なんですか〟、って、きいてみるっぺ」
「…えー」
「ほれ、はやく、級長やってるっぺ?」
「…それ、いま関係ないんじゃ…」
「おめえ、だれに口きいてるっぺか? ほれ、あのお姉さん…いや、お兄さん?」いずれにしてもこちらの角度からだと、襟足のない人に見えています。「に、はやくきいてみるっぺ!」
手招きされているこちら側からなんで声を出さないといけないのか等、いろいろとツッコミどころがあったり、記憶から抜け落ちている文脈もある気がしますが
「…なんですか」と、かれに命じられた通りの言葉をそのままその階上の窓の大人にかけた記憶があります。「…なんですか?」
返事がなく、語尾をきちんとつり上げて反復した記憶もあります。
「いつも楽しそうにあそんでいるわね」
ようやく返ってきた声には、文字で表わすと何てことないのですが、ちょっとした訛りのようなイントネーションを感じました。
「あの人、なんて言ってるっぺ?」かれほどのあからさまな訛りではないです。「声が小さくて、こっちまできこえねえっぺ」
看護婦さんたちが住み込んでいた棟ではなく、家族用の団地でももちろんなく、消去法的にいま思い返してみると、単身の医師・研修医の方向けの棟だったのでしょう。
「お菓子落としてあげるね」
スニッカーズやプリングルスといったアメリカナイズされていないお菓子をいろいろとその窓から落としてもらった記憶が、まさしく落としてもらったお菓子のようにポトポト蘇ってきていますが
「これもあげる」この初対面の一回ですべて落とされたわけではなかったでしょう。「これも。みんなで食べてね」
「…ありがとうございます」
「あたし、もうすぐここをバイバイするの」
という言葉が唐突に蘇ってきましたが、さすがに間に抜け落ちているエピソードがいくつもあるのでしょう。
「きみたちがいつもその空き地であそんでいるのをここから眺めていて、本当にいい息抜きをさせてもらったし、ここの病院に来てやることや覚えることが多すぎてね」という言葉に沿って、院長もいろいろと思い起こそうとしてみます…「あたし、正直心が折れかかっていたのだけれど、ここに来て、はたして今後自分がこういうことを自分の地域の方で」という言い方をしていました…直後の発言にはこれまでここまであからさまに感じたことのないような訛りのイントネーションもききとった気がします。「できるのかにゃ~って」
「…できるのかにゃ~…」人語どころではないような訛りです…「…ネコなんですか?」
「なに言ってんの? おもしろいコね、タロー君は」
と個人名で呼ばれた記憶も蘇ってまいりしましたが、ここはどういうシチュエーションなんでしょうか?
「…いえいえ」他の〝ヤツラ〟はいったいどこに行ったんでしょうか?「…ぼくなんか面白くないですよ、クラスの級長にだって、推薦されたわけじゃなく、自分から立候補したんですから」
などとトンチンカンな返事をしてしまった記憶も蘇ってまいりました…
「でもきみたちの元気のおかげで、あたしなんとか二年間を乗りこえられたわ、本当にありがとうね」礼に及ぶような記憶はまったく出てこない以上、社交辞令のようなそんな言葉はもういいですから、そろそろ次にいきましょう…お姉さん。「お礼と言ったらにゃんだけど」
「…にゃん」
お姉さん…
「みんなでこんど遊びに来ない?」
「…そこにですか?」かれが最初に見間違っていたように〝お兄さん〟にも三割方見えるショートカットの〝お姉さん〟以上の名前が出てこないその方のお部屋に招かれた記憶まではなく…「…そこに」
「そう、そこよ」
「…そこ」
三階か四階の高さだったと思う窓と、この空き地との声のやりとりしか記憶にはありません…
「さっき話に出した、そこのあたしの地域の方に」
「…地域?」
「田舎、実家、故郷、わかる? 意味?」
「…ああ、はい」と呑み込みの良さをアピールした直後に、え? と返した記憶というより生身の感覚が、現在の院長の口元に宿って、えッ!? とより強い口調で閉院後の院内で独りごちでしまいました…「…おねえさんの田舎、実家、故郷にッ!?」
「そう、お父さんお母さんたちにあたしの方から話してあげるから、新幹線に乗って、みんなで一緒に遊びにきてよ、おうちに招待するから」
本当にこういう経緯でしたでしょうか…
「…みんなで一緒」
という言葉にはもちろん引っかかっていたかもしれませんが、次に蘇ってきた記憶は、二度目の訪問ではっきりと確信した新青森駅の新幹線の改札口から在来線に続くコンコースのタイルの目地の粗さです。
「新幹線の駅は新青森って駅で」
新青森駅に着くより前から、きっと当時の院長はうつむいていて、地面の目地とばかり視線を合わせていたのかもしれません…
「あたしの地域の最寄りは弘前って駅なんだけど」
在来線にはそのまま乗り換えずに、駅の外に停めてあった――路駐だったかもしれません――セダンにみんなで乗せてもらい、車内でもまた下のマットレスばかり見ていた記憶があります。
「車でここから4、50分ってところね」
ゴミ一つ落ちていない良いセダンだった記憶がありますが、さすがにそんなに何人も乗れる広さではなかったはずです。
「でも残念ね、マル君とアキ君が急な発熱と腹痛で来れなくなっちゃって」同級生二人はまさかの仮病…「でもちょうど四人で乗れたからいいっか」
「いいですね」
「はい」
「ええ」
「いいっぺ…おい、タロー、もっとそっち詰めるっペ」
現実的にも考えてたしか一、二泊だった気がしますが、五泊にも十泊にも感じるような弘前初訪問が幕を開けました…
2023/4/9
「あれ、タロー君、さっきから元気なくない? もしかして新幹線の中で酔っちゃった? それともこの車の中? なんか空き地であそんでいる時のタロー君と全然ちがうにゃ~、ああ、でも、あたしもいっつも部屋の窓からだったから、ここまで近い所で会うのははじめてになるのかも…はじめましてって感じ? みんなよろしくね、ごはんももうたくさん用意してあるから、いっぱい食べてね…あれ、タロー君、ぜんぜん声が出てないし、ぜんぜんごはんも食べてない…こっちの味は苦手? ちょっとしょっぱい? ほんとどうしちゃったの? タロー君もマル君やアキ君みたいに体調くずしちゃったの? 元気にゃ~の? もしかしていっつもこんな感じなの? こんな感じだったの? みんなといる時は…こんなにおとなしいの? ごめんなさい、あたしいっつもみんなでじゃれ合ってあそんでいる所しか見てなくて、部屋の中はいっつもラジオやエフエムをかけていたから、声もあんまりきこえてなくて…もしかして…もしかしてだったらごめんなさいだけれど、タロー君、この弘前にまで誘っちゃって悪いことしちゃった?」
2023/4/12
〝この弘前にまで誘っちゃって悪いことしちゃった?〟までは実際に発言されていなかったかもしれませんが ―― 院長の記憶が都合よくまとめてしまっているだけかもしれませんし、現実的に読み返してみて、弘前滞在中の一コマというより、滞在中のお姉さんの発言のダイジェスト版のようにも感じますが、いずれにしてもこの発言しか浮かんできません。弘前のどこに連れていってもらったか ―― 弘前城やりんご公園にも連れていってもらったどうかの記憶はなく、〝ヤツラ〟に何かをされた記憶もなく、お姉さんのご自宅の記憶もあいまいです。セダンのインパクトをこえるほどのご自宅ではなかったように思います…はっきり浮かんでくるのはハリのような視線 ―― 日本式というより中国式の注射針のようにブッとくて鋭いお姉さんの視線です。こう書き連ねていく中で、もしかしたらこのお姉さんはいわゆる初恋のヒトだったようにも思いこみ始めていたのですが、そんな甘ったるい幻想をも突き破るような視線で、別れ際の弘前駅か新青森駅かの改札口で院長にのみ向けられていたように感じたのは錯覚ではないでしょう。その時もたしか俯いて見つめていたはずのコンコースのタイルから無理やり見上げさせられるくらいの威光も放っていた視線です。あるいは西洋医学におけるメスのようにも光り輝いていて ―― お姉さんは外科医ではなかったと思うのですが、院長がその時はじめて〝イジメ〟を自覚させられた気になってくるくらいの視線でした…ああ、ぼくが〝ヤツラ〟から受けているこれは、イジメというやつだったんだと…ぼくはかわいそうなやつなんだと…ヤツラをはっきり〝ヤツラ〟と敵意むき出しに呼ぶようになったのもそれからだったかもわからなくなってくるくらいの同情とも憐憫とも恩情ともとれそうなその視線を、帰りの新幹線の中でも何度も思い返し、もっとぼくは力強く生きていかない…ぼくは誰にも負けてはいけない…と、実際に院長はその後牛乳も毎朝500デシリットル飲んで逞しくなっていったのですが ―― その二年間の団地生活では結局挽回できませんでしたが ―― 次に転校した先の数年間ではこんどは自分がイジメをする側に回るくらいの反動・〝揉み返し〟があったような苦々しい記憶がはっきり門番さながら待ち構えておりますので、やっぱりどうなんでしょう…そういうブッとくて鋭い針やメスはあくまで刺激療法に過ぎないんじゃないか? かえって当事者や患者さんを生きづらくさせてしまうんじゃないか? という問題意識も多少あって、比較的マイルドな日本式の鍼をこの〝ぼく〟が〝院長〟となった豊泉堂では現在採用させてもらっているわけですが、もちろん患者さんの心身によってはメスのようにも太くて鋭い針が必要になってくるケースもあるとは臨床上感じています。それでも視線の方はなるべく同情や憐憫や恩情のようにならないようにはつとめているつもりです。いくら大病や難病にかかっていらっしゃろうと、そのような視線と鍼でコツコツと淡々と黙々とのぞみ続けておりますので、時には院長の鍼や圧力や言葉遣いが物足りなく感じることもあるかもしれませんが、患者さん一個人のお体のみならず、患者さんのお体をとりまくお体全体➝世帯➝地域➝社会➝世界全体が良くなるように射程をハリにもたせないといけないのがわれわれ鍼灸師の真髄だとも思っておりますので ―― 針やメスのように拳を突き上げ西洋医学諸々にたいして東洋医学の地位向上等を求めるばかりでなく、やはり自分自身・全身が〝手〟のみに縛られないハリになってのぞまないといけないのが真の鍼灸治療だと皆々様のお体と関わらせてもらう中で思わせていただいておりますので、来年以降しばらくこの手でそのお体にじかに触れられなくなったとしても、あまり事態を鋭くブッとく受けとめてほしくないんだにゃ~
( 弘前篇 <完> )
2023/4/14
なんていうんですかね…こういうページにしたかったわけじゃないんですよね…往診ってもっと明るくて陽的なものだと思うんですよね…もちろん旅行や当ページURLの〝tour〟とはき違えているわけじゃないんですが…

〝にゃ~〟って、そもそも弘前というより、ここの方言に近いんじゃないでしょうか…もとはここの方だったのかもしれませんが…まあここは往診しなくていいんじゃないでしょうか…院長も昔からよく知っているずっと元気な土地ですので(カラ元気なのかもしれませんが)…ここの先のべつの候補地の下見にいま向かっています!
2023/4/16
院長個人だけでいいので、往診というものについて、このあたりで一度腰を落ち着けて考えてみたいと思います。みなさんはお忙しいと思いますので、どうぞ吊り革等につかまったままで大丈夫です。
治療院における診療と、往診はいったい何が異なってくるのか?
もうすこし字数を使わせてもらって問いを平たくひき延ばしてみると、患者さんに来院いただく治療と、患者さんのもとに出向く治療にはいったいどのような隔たりがあるのだろうか?
東洋医学・思想においては、こういった2つの異なり・隔たりがある際に、何でもかんでも陰と陽に分けたがる習癖 ―― 時には単調な2項の対立・ケンカを生み出すだけにしかならない悪癖が紀元前よりダラダラ続いているのですが、院内診療と往診を分けて考える場合には、有効な手立てとなるかもしれません。
と言いますのも、治療院の〝院〟というのは、そもそもは〝陰〟という字をあてていたんじゃないだろうか…という気づきを、開院3年目くらいから得始めているんですね。もしかしたらもっと早くに気づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、こういう方面のカンは院長は昔から悪かったりするんですね。
2023/4/19
ダジャレとしてはもう少し前から気づいてはいましたよ!
治療陰♪ 陽♪ 陰♪ 陽♪ 陰♪ 陽♪ YO♪ YO♪ YO♪ ラップのように口ずさむことが開院当初はよくあって ―― 閑古鳥の鳴き声をかき消すためでもあったのですが……東洋医学ショートショートを書くくらいしかやることがない日もあり、エネルギーも有り余っていたものですから、たまに患者さんが来ると嬉しくなっちゃって、こちらが陽気にYO♪ YO♪ YO♪ くご来院くださいましたYO♪ というようなテンションで出迎えていたわけですね……結果治療の手応えはあったところでなかなかリピーターにはなってもらえず、院長もさすがにだんだん元気がなくなってきて、陰気な態度を患者さんにもとるようになってきたあたりから、リピート率なる数字がグングン上がっていって、今のこの状態につながっているわけですね。
わかります? この陰と陽の話…
2023/4/23
そもそも患者さんというのは陽だったということですね。もちろん無理やり家族のかた等に連れて来られている陰の患者さんも中にはいらっしゃいますが、基本的には自分の体を良くしたい! 治したい! そのためにわざわざ自宅の外に出て治療院にまで行ってお金を払う! という陽の気を持参した方々ですので、こちらもYO♪ で応対してしまってはかち合ってしまう…INさせてあげるための陰=院として、それほど元気に陽気には出迎えない方がよろしいかと。

陰と陽が分かれる前の上の太極の図をご覧いただければおわかりの通り、じつは陰と陽は対立しているわけではなく、互いに内側に黒・白の陰・陽を内包していますので、もちろん患者さんの陽の中には陰の病・症状が潜在しているからこそ治療院にまで出向いてきているということですので(さらにその陰の中の小さな陽こそが体を外に出向かせているとも言えなくはないですが…)、
迎え入れる治療院の側としてももちろん陰ばかりでなく、エネルギー・パワー・気……もろもろの陽をもたらさなくては、患者さんの陽の中の陰の症状はなかなか好転していかないわけです。少なくとも治療院から今度はご自宅等に帰ることができるくらいの陽気を施術を通してもたらなくては…
では、こちらから患者さんのもとに出向く往診の場合には、今度はいったいどうなりますでしょうか?
自問を始めたのは、もう5日以上前になりますので、のろまな院長もさすがに自分なりの答えが出つつあります…
2023/4/25

2023/4/27
似てないですか?
先週下見に訪れた志摩市の英虞(あご)湾を一望した時に、久しぶりに浮かんできたのが、太極図だったんですね。
日(陽)の当たる太平洋(陽)側の静かな湾の陰の中でぬくぬくと育っている真珠や青海苔や鮑や牡蠣や海松と同じように、みなさんにもぬくぬくと…
しかし、ここの何処に往診をさせてもらえるような場所があるんでしょうね!?
2023/4/29
ちなみに候補地のもう一つ・大阪市にも立ち寄って、森ノ宮にある地名通り・森ノ宮医療学園専門学校内にある「はりきゅうミュージアム」にも初入館。


館内の撮影は可能とのことでしたが、公開は不可とのことで、いくらこんな隠れページめいた場所でももちろん避けます…頂いたパンフレットのみになりますが、鍼灸を〝はりきゅう〟として身近に感じてもらおうとする意識を、学校職員の方からも。ご案内くださり誠にありがとうございました!
2023/5/1
和歌山市にも立ち寄ってきたのですが…かなりいいですね。候補地にするかも…


ちなみに当院の西洋医学アドバイザーの新しい赴任地は同県・白浜のようですね…ほんとご苦労様です
2023/5/4
西洋医学アドバイザーが在院時の声と往診時の声を使い分けていたのは、うっすら気づいてはいたんですよね、行政が用意してくれた自宅そのものが診療所でしたので、陰気な声がこちらの部屋にまで幻聴のようにかすかにきこえてくることもありましたし、数回お供させてもらった往診で患者さんの自宅の方に入る際には、声が陽気にハキハキしていて……このおっちゃん実は声デカイなと……西アドご本人がどこまで自覚してそうしていたのかは、きいたことがありませんでしたが、迎えるのと出向くのではやはり陰陽が逆になるのでしょう。
2023/5/7
ふむふむ……では、来年院長が予定しているタイプの往診は陰陽がどうなりますでしょうか? 患者さんのご自宅ではなく、あくまで地域に出向いて、どこかの一室を借りて、患者さんを迎える……陽か陰か、はたまた……
2023/5/9
そういえば、もうすぐ当院の院長先生の新刊が発売されるみたいですね!
目次を拝見するかぎり、鍼灸治療とは関係なさそうな一冊のようですが…
http://www.kankanbou.com/books/novel/0576
ここから背中のコトバに向かうということでしょうか?
2023/5/13
「背中は語っている」の方、作品がだいぶ集まりましたので、院内掲示させていただいております!

こちらの診立てで異常のありそうなポイントと、掲示の上下左右をなるべく対応させてもらっています。
自覚のポイントやデザインの方を優先させてもらっているお背中もございますが…
2023/5/16
なかなかスペースがなく、ベッドの方に掲示するのもどうかと…結果、玄関の壁面に掲示しているのですが、来院直後にハッとされる患者さんが多くなってしまっています…面白がってくださる方が多くはあるのですが…
ここまで陰陽の考察をこのページですすめておきながら、結局陽の側で患者さんを受け入れてしまっている・状況によってははね返してしまっているかもしれませんので、場所は今後すこし変えるかもしれません。
2023/5/20
そもそもこのさいたまはやっぱり陰の土地なんですよね…どちらの海にも面していない内陸で、北関東全域がそうかもしれませんが、男子校・女子高がいまだに守られていて(って、例ははずれているかもしれませんが…)、底冷えもひどく…

日本列島を一体のあお向けの身体として見ることは可能で、山〝陰〟・山〝陽〟という二極がある通り、日に当たりづらく雪の積もりやすい陰のおなかが日本海側であり、
日に当たりやすい陽の背中が太平洋となっておりますので(ここで考察は終わりませんよ…ここからさらに臨床・実際の治療につなげていこうかと)、
往診先が日本海側・もしくは内陸部の場合には、陰側のおなかから治療を始め、太平洋側の場合には、陽側の背中から治療を始めるのがいいのではないでしょうか?
以前往診をおこなった沖縄・石垣市では、背中 ―― つまりうつ伏せから始める治療の方が実際に好評を博していました。背中側を先に打たれたがる方が多かったんですよね、にぃにぃ、もっとガンガン打ってくれさ~…みたいな感じだったと思います、はい
2023/5/23
昨年の秋頃に下見にいった新潟市の萬代橋からの写真ですが、萬代橋についてはもっともっとキレイな写真が世に出回っていると思いますし、実際に目の当たりにした方がいいかもしれません…


下見って言っても、むかしむかし住んでいた土地ですからね…下の写真は院長の母園です。
このときは一生ここに住み続けるものだとばかり思っておりました…
2023/5/27
やっぱり最初の往診先は新潟市ということになりますかね…
2023/5/30